ラインいじめを乗り越える方法はある?

本当はこんなタイトル自体を書きたくはなかった
それだけでブログの波動が重くなる…

せっかくブログデザインも刷新してもっとキュートでカジュアルな「スピリチュアル」を
押し出していけるかなと思っていたのに、今日書くことは辛らつで正直でしんどい内容だ

そして、またきっと「ヒーラーなのにそういうことを書いていいんですか?」
「あなたは”ヒーラーなのに”人生に愚痴があって愚痴を聞かせるんですか?」
「ヒーラーなのに、”人の悪口を言うんですね」

等々の批判が来たり人が去っていくだろう
それを覚悟で書くことにした

こんなことを記事にする「ヒーラー」は確かにいないかもしれない
でも私は心の中ではこれを機にヒーラーを卒業した

今は違う仕事をするために準備中だし、
これからもスピリチュアルな仕事は使命としてやっていくけど、
スピリチュアルワーク職人、という肩書でいたいと思う

最近私はまったく記事を書きたくない
自分に自信をなくしたし、人に不信を感じるからだ
自分が必死の思いで書き続けてきた記事が誰のためにもなっていないことにも気づいた

この状況を打破するためには、心の中にくすぶっていることを書かなければならないと思った

書かないと先に進めない

 

何があったのかというと、ライングループがつぶれた

ここで正式に告知する前につぶれてしまった
というか自分でつぶす決意をした
これ以上批判を浴びていたら私自身が崩れてしまうと思ったので
これ以上の「ラインいじめ」に合う前に解散することにしたのだ

SNSで心ない攻撃を受けた後、どうやって立ち直るか?
そのアンケート結果が丁度ネットに出ていたが、大半が「乗り越えるすべはない」だった
それほど、SNSでの「いじめ」は人を傷つける

ライングループは告知していなかったこともあってごく少数のグループだった

でも私には一つの挑戦だった

今までツイッター、インスタグラム、フェイスブック、普通のブログと色々な手段で
「スピリチュアルなことに興味のある人との繋がり」を創ろうと試行錯誤でやってきたけど

SNSでの人との繋がりを作っていくことは想像以上に難しかった
フェイスブックなどは、読んでくれる人シェアしてくれる人は断然多い
でも、それに対する反応がまったくといってない

人と人との関係性がまったく生まれないまま、
それを自分なりに関係性ができるように努めて呼びかけてもなしのつぶてで
誰が、どのような人がそれを読んでいるのかもわからないまま続けることに
虚しさと薄っぺらさを感じた私はSNSを更新することに興味がなくなってしまった

それに、ツイッターなどは前にも書いたけど非常に波動が重くて
すぐに言い争いになる爆弾があちこちに設置されているような空間で
実際に私のフォローしていた人達がお互いにケンカをはじめて殺してやるとかいつ殺すとか、
そういう話にまでなっていくのを見て、それを機に大きなSNSはすべて止めてしまった

 

それでも、私は「人との繋がり」がほしかったし、「人との繋がり」を創らなくて
真のライトワーカーとは言えないと思っているので、繋がりを求めてライングループを作った

あえて企業のやるライン@ではなくて、本当に個人のラインアカウントによるグループ。

そこでは、人との距離が他のSNSサービスよりずっと近くなる
だからそこで温かくもストレートで芯のある仲間ができればいいと思ってきたし
それには時間がかかるだろうから、すこしづつ人を増やしていこうと思っていた

 

でも、これも結局上手くいかなかった

結局、何か話を振るのも語るのも書くのも、ほとんど私だけ。
ごく少数の方たちが意見を書いてくれてはいたものの、
そこから繋がりどころか仲間意識や友情が生まれる気配はなかった

 

それでも、何か語る場として残しておきたいと思い
自分なりに他の人と共有できる話題を書いてみたり
他の人に意見募集を投げかけることでコミュニケーションを取ろうとしてきた

 

ある時、私が皆の意見を聞きたいと思い振った話題に対して、
意見をくださった方がいたので、私はごく単純に「自分はその意見ではない」という趣旨のことを書いた

私がしたかったのはその人を責めたかったわけでもなく、
批判したかったわけでもなく、
ただその方とは違う意見だということを述べただけだったし

だからその後もディスカッションは当然続くと思っていた

でも何らかの勘違いがあったんだろう

私の書き方が厳しかっただろうか?
でもああいう場だから、かなり気を使って言葉を選んで書いたつもりだ
レスを書くまでに時間がかかった

でも、その方は怒ってさっさとライングループを止めてしまった

「私怒ってます」とは言ってこなかったし
「スピリチュアルに正しく生きている」と思っている人にありがちな
「とても丁寧な言葉で」愛と光をお祈りしていますというような最後の文言が書かれていたけど、

 

そこは私、人のエネルギーがいくらでも見えてしまう「ヒーラー」なんで…
その方が私にヘンな鈍色のエネルギーを送り出し、
怒りをぶつけているのは嫌と言うほど分かったし
それを浄化しなければならなかったほどだ

 

私から見ればたかが一つの話題についてディスカッションしていただけの話。

ディスカッションなのだから、その方と私が違う意見であってもごく自然だし
「あなたとは違う意見です」と私が言うのも自由なはずだった
現にその方は私に対して異論を呈していたのだから、

私だってそれに賛同できないと述べる権利はあった

ディスカッションとはそういう風にして発展していくものだし
誤解があっても、そこで誤解を解く中でお互いを理解し、逆に仲良くなる、
ということは私はいくらでも体験してきたので、
そうなっていくのだと思っていた

実際、意見の少ない中でわざわざ意見を出してくれるだけでも感謝していたのだ

 

だからその感謝や、その時の私の気持ちを伝えることもできないまま
その方が怒りを燃えるように出して去っていったことには正直驚いた

その人は、とても繊細な人だったのだと思う

実はその人はクライアントさんではないし、
私のセッションや読書会などに参加したこともない方だったので
見ず知らずの人。私はその人となりを知らなかったけど、
その態度や持っているエネルギーで分かったのはすごく繊細で傷つきやすい面を
お持ちの方だったということだ

そして、それゆえに人とどう関わっていいのかが分からない、ちょっと何かあると、
自分を否定されたような気持ちになってしまう(スピリチュアルな世界ではこういう人を
歪んだ被害者意識を持つ人、と呼ぶけど、実際には現代人の多くがそういう傾向があるともされている)人

 

傷つきやすく繊細なんだから、いきなり止めていく態度をとっても仕方がないとも言える
その一方で、それはその人が乗り越えなけえばならない課題でもある

正直、いちいちそのような感情的態度を取っていたら誰ともやっていけなくなる
言われたら丁寧に相手に配慮しながらも、
自分の主張ははっきり言い返すぐらいの強さを持たないと、今の世の中やっていけない

スピリチュアルなことに興味のある人には、概してこういう「繊細で傷つきやすい人」が多い
だからこそスピリチュアルなことに興味をもち、そこに答えや解決、救いを求めている
特に女性は、スピリチュアルなことに「母性」を求めたがっている
大いなる愛で、自分をとにかく全肯定してもらい、圧倒的な愛で包みこんでほしいという…

でも、本当の意味ではそこには救いもなければ答えもない
スピリチュアルにあるのは、ただ自分の魂の道を果敢に歩んでいくことだけだ
スピリチュアルなことに理想を求めてはいけない
そこには理想などないのだ

 

でも私が本当に悲しかったのは、その方の態度よりも
その後にそれに追随するようにボロボロと止めていく人たち、
それに乗じて私に個人的に文句を言ったり嫌がらせをしたり、
とにかく「今回の件はあの方を追い出したあなたが悪い」と言わんばかりの態度を取ってきたことだった

それは何よりも悲しかった
そういう人達は、グループディスカッションなどにもともと参加もしていなかった
いつもはダンマリで無言なのに
こういう時だけなぜか大胆で非常な態度を取るのはなぜなのか?
そして、人がしたから自分もするというやり方を、自分で恥ずかしいと思わないのだろうか?
日本人はよく「ひつじ」と言われる
自分からは行動しない、誰かが動いたらやっとそれに合わせた行動をとる。

でもそんな生き方してたんじゃ、スピリチュアルどころじゃないぜ。

スピリチュアルからは程遠い。

このライングループは、もともとフェイスブックの読者から切り替わって入ってきた人が多いため、
私のクライアントさんたちでもないし、お互いに知らない同士だった人の方がずっと多い

だから私を責めやすかったのかもしれない
でもそれに輪をかけて悲しかったのは、私とセッションなどを通じて
面識があり、お互いにこれからも仲良くやっていけるだろうと思う人達からの仕打ちだった

私はその人達がいい方向に行くよう、魂を込めてセッションしてきたつもりだった

でも、そうした人たちは私が一生懸命にやってきたことはどうでもよく、
グループの中で一時的に感情的になった人の態度を信じ、味方し、
逆に私への信頼はあっという間に
消えてしまったらしい。しかも私が悲しむだろうと思うことをここぞとばかりに、なぜするの?
その理由は今でも分からない

もしかしてそういう人達は、私のことがもともと嫌いだったのかもしれない
セッションやグループディスカッションの中で、「嫌いだ」と思う瞬間があって
いつかライングループも止めたいと思っていたのかもしれない
私を責めたかったのかもしれない
もっと悪意的に言えば、普段できないヒーラーへの不満や嫉妬をここでぶつけて、
私を故意に困らせてみたかったのかもしれない

そんな風に疑うのですか?
と言うかもしれないが、人間というのは、そういう非常で残酷なことを

実は結構平気でするものなのだ

スピリチュアルな人。であるかどうかは関係ない
正直、スピリチュアルなことに興味があるとかスピリチュアルな知識を持っているとか

毎日瞑想しているとか講演会に何度行ったか、などは本人の霊格とは何も関係がない

また、スピリチュアルな世界では「嫉妬」は最も良くないことだとされている
よくあるのが、優等生的に「あなたには最高の価値があるのです。誰とも比べず、自分を愛し、
決して嫉妬しないで生きましょう」などと書いてあるブログや本。そういう人に限って自分が嫉妬している

セラピストやヒーリング関係の人たちの嫉妬は通常世界と変わりなく
非常に大きい。彼女たちは嫉妬したら他のサロンをつぶすためにネットやリアルで嫌がらせをやっており
それは時に犯罪一歩手前ぐらいまで酷いこともある

その反面彼らの「お客」には「愛と光で生きましょう」と言いまわっている
その現実を、「お客」にされている人たちは全く知らないで「神のような人」と崇めたりしている

 

話は少しそれたが、

「スピリチュアルな人たち」は自分はラインいじめなどしていない、と思っているかもしれないが
今回の一件は私から見れば完全にラインいじめであり、

一般世間で毎日行われている高校生中学生のラインいじめや、
ツイッターでの「殺し合い」や、フェイスブックでの残酷な情報配信と何ら変わりがない

スピリチュアルな人、は、自分はスピリチュアルなことを少しばかりかじって、
どこかのヒーラーに「あなたはすべきことがあるライトワーカーです」とか言う「予言」みたいなものに
酔っていたりして、その結果自分は愛と光に生きていると信じ切っている

「自称スピリチュアルな人たち」は、「自分は目覚めており」、
懲らしめてやろうなどという悪意や嫉妬や怒りなどとは
自分はもちろん無縁で、そういう意識を大いなる罪だと思っている

でも、人は自分の中の、悪意やドロドロした気持ちを認めたときに、はじめてそれを浄化できる
スピリチュアルなことを多少学んで、
多少瞑想したりパわースポットのリトリートに行って、
何かの「資格」など取れば、いきなり聖人のようになれるわけでも、キレイなオーラになれるわけでもない

スピリチュアルとは、すべてが、自分との対峙であり、自分を探求することだ
それはル・グウィンが「ゲド戦記」で書いている
あれがまさに、本当の意味でのスピリチュアルだ

自称スピリチュアル優等生は、
自分の中に何らかの悪意やドロドロしたものが「潜んでいる」「うずいている」ことには気づきもしないし
それを認めたくもない。

認めることは、その人達最大の課題(弱点)である「自己否定」とまたまた向き合い、
場合によってはさらに自分を否定することにつながる。
スピリチュアルな人達は、何よりも自信のない自分を認めてもらうことに最大の関心を抱いているので、

それが得られなかった時に、逆襲にも似た怒りが湧き出して来ることを
自分で気づいていない

 

そして、いかにも私の将来の繁栄と幸せを祈っているかのように
「愛と光があなたに注ぐよう祈っています。」などと言う
それが本心からではないことは、エネルギーを観れば一目瞭然だ

一言言っておきたいです
仮にも霊的能力がある人を相手に、いくら
本心にはその気もない「愛と光を祈っています」などと言っても

見え透いた嘘だとすぐにわかってしまうことには、気を付けた方がいい

正直であるべきだ

言いたいことがあるならば、正直であるべき。

人の後ろにちょこちょこ隠れながら嫌がらせなどしていないで
堂々と自分が思った時にはっきり意見を言い、理由を言って
私の悪口でも不満でもぶつけて、正々堂々と去っていけばいい

自分を正当化するのに、「スピリチュアル」を使うなよ。
自分を行動化させるのに、「他人の行動」を利用するなよな。

それっですごく卑怯でみじめだぜ。

そして、もちろん、そう言う人のところには
真にスピリチュアルな能力はやってこないし、
それを用いてこの世で使命を果たすなんてことからも程遠い。

何回も書いてきたけど、天使はかつて私に言った
「天使と繋がりたいならば、正直でなければなりません。
あなたが天使とこんなに身近なのは、あなたが出来た人間だからではなくて
あなたが素直で正直だからです。正直さは天使の通り道なのです」

 

人の後ろに隠れるな。
もしライトワーカーになりたいなら。
「愛と光」という綿毛のような甘いあたたかい言葉で自分の残酷さを隠すな。
もし本当にスピリチュアルに生きたいのなら。

 

私がこれを書いたのは、自分の意見を書きたかったからに他ならない。

自分がいかに傷ついたかを。
ただ、それだけではなく、今もこの日本中にいる、
ラインいじめに合っている子供たち、大人たちを、
SNSで不当な立場に追いやられ、自分は真っ正直に一生懸命に何かを生きていても
実は中身のない群集心理に潰されている人たちにエールを送りたいと思ったからだ

その中には、もちろんヒーラーやヒーリングプラクティショナー、セラピストなども含まれているだろう
でもそういう人達は、いじめ、にあっても、職業柄、文句も言えず、いつもニコニコ、
いじめさえも愛と理解で受け止めています、という顔をしなければならない

その苦しみから

これを読んで少しでも、ヒーラーたちは自分で自分を解放してほしいと願っている

ヒーラーだからといって、完璧である必要などどこにもない
そして嫌なこと・傷つけられた体験・嫌味や嫉妬そういう攻撃に合った時は

そう言うことまで「愛と光」にくるんでごまかさないで
自分は傷ついたぞ!!と叫んでいいのだと

私は言いたい

SNSで自分は一生懸命やっているのに、
不当な思いをして傷ついた人に言いたい
あなたを傷つけている人たちは
何よりも自分が傷ついていて、
そしてその先も傷つくだけの人生が待っているだけにすぎない

心に愛があり、思いやりがあり、何より俯瞰できるほど余裕がある人は
一生懸命に生きている人をないがしろには絶対にしない

あなたが一生懸命で、誠実で、正直で、自分にも他人にも純粋であるならば
あなたの情熱が正直な魂の表現であるならば
その表現方法が多少行きすぎたり間違ったり失敗したり完璧じゃなくても
真に愛のある人たちにはちゃんとその美しさが見えるし
真に愛のある人たちは「多勢」に加担したりはしない

真に愛のある人達は自分の決めたように行動し、意見を言う

愛を見失った悲しきひつじは、傷ついているあなたではない

SNSで、ラインで傷ついても、立ち直るすべはないくらい傷ついても
必ず、立ち直れる
真の友人達や、あなたを信じてくれる人が、あなたの努力を認めてくれる人が
必ずいるから…

私はそう言う人達が多くいたから、立ち直れた

まだ傷はあるものの、それを引きづることはない

あなたの前から簡単に消えていった人たちのことを
いつまでも考えてるのは、引きづる価値もないこと。

真の愛がある人、真の愛を真に生きようとしている人たちとの絆を大事にしていればいい
それが今ないなら、これから作ればいいし、必ず理解してくれる人がいると信じてほしい

そして絆を創るには、まず自分が正直で、ありのままで、自然で、素直で、
純粋な情熱から生きる必要がある

それさえ心にとどめておけば、愛は必ずあなたを救いにやってきてくれるよ。

 

 

それさえ心にとどめておけば、愛は必ずあなたを救いにやってきてくれるよ。
ーmessage from Archangel Gabriel

 

 

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