「スピリチュアル」に全く興味がなくなってしまった件

スピリチュアルに全く興味がなくなった・・・

でもここで言うスピリチュアルとは、現代社会においていわゆる「スピリチュアル」と呼ばれるものについて。
だからあえて「スピリチュアル」とかっことじしたのです

それは多分、前回にも書いたラインでの出来事が大きく影響していると思います

これまたヒーラーというのは自分にただならぬ高次の愛を呼び込み、すぐさま癒しができて、世の醜い攻撃などには目もくれず、それらを超越してそういう人達さえ、愛で優しく包み込む・・・

そんな風に思っている方々も多数いるでしょうが、それ自体がすでに「うざい」のです
ヒーラー=○○、スピリチュアル=○○で✖✖で▲▲でなければならない、この社会に、あるいは集合意識に根付いている観念自体がすでに「大分うざい」のです

多くのヒーラー、海外の有名ヒーラーも含めて気づいていないように見えますが、「スピリチュアル」というのは、「社会が作った観念から抜け出し、社会の決めたあなたを生きるのではなく、あなたが生きたいありのままのあなたを自由に生きよう」と言いながら、一方で「スピリチュアルとはこうでなければならない」という観念に非常に強くしばられています。そしてそれは時代を経てスピリチュアルが広まれば広まるほど、強くなっています。自由を訴え主権を訴えるスピリチュアル自体が、自分たちの作り出した観念にとらわれて、その中でしか機能でいなくなっています

ヒーラーというものの存在もそうです

ヒーラーとはこうでなければならない、という社会からの期待や観念にしばられ、人気を得るために「その期待通り」のヒーラーを演じることが非常に強く求められている、求められるのではなく圧力としてあるわけです

そして社会の求める愛に溢れたヒーラーではない、とちょっとでも誰かが思えば、残酷なまでに排除されるのが、ヒーラーというものです。だから、多くのヒーラー、特に世界的な活躍をしてきた大御所と呼ばれるヒーラーたちは、意外にも早い時期に引退していきます。

有力で素晴らしいヒーラーが今までどれだけ、若くして引退したかといえば数限りなくそういうい人はいます。こういう人こそ真のヒーラーとして活躍してほしい、と思っている方々が早々と違う人生を歩んでいきます。それは、彼女たちが普通の人間であることを尊重したいがゆえに、社会からの圧力から解放したいという希望からだと思っています。

 

ラインでの出来事を、今も根に持っているわけではありません。その辺は、すぐに天使に来てもらって集中的にヒーリングしてもらうことができました。私にはいつでも天使がいます
それにもともと、根に持たない性格でもあります。いつまでもねちっこく同じことで人を責めたり執着するところが私にはありません

その代り、その場では怒る時ははっきり怒るし、泣く時は本当に泣く。
すべてにおいて、正直です。ありのままです。人間です。聖人ではありません。
その場その場で言いたいことは言いますし、自己主張もするし、自分の思いや意見ははっきりさせています
だからこそ、溜まらないし、根にも持たないのです

だからあの出来事はすでに忘れているし、私を責めてきた人々のことも全く誰だったかも覚えていません

私は自分と領域を分かち合えない人のこともまた、すぐに忘れてしまいます。
あまり人にいい意味でも悪い意味でもこだわりませんし、思いだしません

愛する人たちは、常にいるし、愛すべき人々に、常に新しく出会うからでもあります

 

「スピリチュアル」に対する疑問

 

おそらく私が関係を保てなかった人たちのことをすぐに忘れる、
つまり言い方を変えれば結構さっさと解放して解き放ってしまうので、新しい出会いも多いのだと思います
私は常に新しく誰かに出会っています

よくウィリアムレ―ネンさんとかペニー・ピアーズが人間関係について言っていますが、

「自分とは波動が合わない人、自分を傷つける人にそれ以上関わらず、自分から解放する。それは、自分を傷つける人々を自分の領域にとどめないという意味で、自分を愛することでもあります。そしてその人達がその人達の生き方をしていく自由を認めること、それは許しでもあります。許しとはその人のしたことをいいねいいねと認めてあげることではなく、その人達がその人達の人生を自由に生きることを認めることです。そしてそこに、許し新しい出会いがやってくるスペースを作れるのです」

それはほんとのことだと思います

さて、そういうわけで私にはあの件そのものについての執着はありません。

ただそれが自分にとって「スピリチュアルとは何か?」ということを考えさせられた、考えを修正させられたきっかけにはなりました。あれ以来、スピリチュアルに対して疑問視をしてきた私の疑念は決定的になりました

今までにも、沢山の疑問でいっぱいでしたし、このブログでも問題提起してきました

「スピリチュアルって一体何?」
「一体現代のスピリチュアルはどこに行っちゃっているの?」
「なぜヒーラーに過剰な期待と執着をするの?」
「なぜスピリチュアルな人達は、自称スピリチュアルとして、スピリチュアルな生き方をしなければならない、と思い込んでいるの?」
「なぜ自由に生きることが大事といいながら、世の中の期待通りのヒーラーを演じようとする人がこんなにいるの?」
「なぜ幸せなんて簡単になれないものなのに、スピリチュアルな生き方をすれば簡単に明日から幸せが手に入るという観念が蔓延しているの?」
「なぜスピリチュアルだ、愛だと日ごろから言う人に限って、本当の意味では愛を知らず、愛と逆のことをするの?」
「スピリチュアルエゴというものが日本ではまだちゃんと教え伝えられていない」
「なぜヒーラーとかいうものになったからと言って、いきなり偉そうになる人がいるの?」
などなど…

 

つまり言いたいことはズバリこれです
「なぜスピリチュアルって、愛と光とかいいながら、
こんなにもゲスの極みなの?」

その疑問が、ラインの件が引き金になっていよいよ浮上してきました
そしていよいよ、自分はスピリチュアルというものを白けた目でしか見られなくなりました
「スピリチュアル」には今は全く興味がないです
あえて言えば、ウィリアム・レ―ネンさんの本だけはたまに読むかな・・・現実的じゃないですか、
ウィリアム・レ―ネンさんって。バシバシものを言うし、お金のために甘い良いことばかりは絶対言わない。結構批判的なこともはっきり言っていますし、彼も現代のスピリチュアルに対し疑問をちゃんと提示しています。

スピリチュアルな世界は「言葉」に沈殿している

一般的にスピリチュアルな世界、スピリチュアルな「業界」、ヒーラー、スピリチュアルティーチャー、スピリチュアルコーチ、一般的にスピリチュアルだと自分を呼ぶ人たちは、多くの場合行動ではなく「言葉」に生きています

愛・光・祈り・許し・叡智・シャンバラ・聖なる何とか・・・・などなど
アセンション、ライトワーカー、ウェイシャワー、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、などなど

こうした言葉を、沢山寄せ集めては、自分もそれに沿った生き方をしたいと思い、そこまではいいのですが、それら言葉だけに、酔って沈殿してしまっているように見えます

言葉を寄せ集めているということは、要するに沢山スピリチュアルな情報を集めているということ。

スピリチュアルに生きている、と主張する人達は、非常に読書やネットサーフィンしています。読んで読んでよみまくる。そして気にいった人がいれば、その人の講演会などに行って、ますます言葉に陶酔しいわゆる「スピリチュアル」に沈殿していきます。

「言葉」だけに酔いしれていき実践や実体験が伴わないと、実際には何も行動に移していないのに、勝手に「自分はライトワーカーだ」「幼い頃から孤独だったし宇宙に興味あるから自分はライトビーイングに違いない」「ドリーン・バーチューの本からすると私は妖精の生まれ変わりで、なおかつウェイシャワーだ」とかそういう風に自分を決定づけていき、それに酔いしれ、寂しく行動力のない自分を正当化していきます。自分は特別だと思いたいのです。

 

真のライトワーカーとは何か?

 

真のライトワーカーは行動します。そのことを忘れないでください。
真のライトワーカーは立ち上がります。そのことを忘れないでください。
真のライトワーカーは人生に挑戦するので、それゆえ困難に出会いますし、人間であり聖人ではありません。いかにも人間らしく、出来事に対処しつつも、愛とは何かを考え、そこからまた成長していく普通の人です。決して宇宙から来たプレアデス星人とかではありません。

偽物のライトワーカーは行動せず、ただ「スピリチュアルな考え」「スピリチュアルエゴ(スピリチュアルならこうでなければならない)」「スピリチュアルな観念」に埋没していきます。そこには、スピリチュアル以外のものは排除するような心の狭さがあり、それでも自分は愛と光に生きてると信じています。

偽物のスピリチュアリストやライトワーカーは、言葉に甘えています。愛、光、祈り、あなたの幸せを祈っています…などなど、そういう言葉を使えば「ライトワーカーらしい」と思い込んでいます。いかにもスピリチュアルな言葉を使うことによって、いかにもスピリチュアルな思想を主張することによって(「怒りを感じるのではなく、その人を想い、愛を贈ろう、そうすれば、周りは愛だらけになる」、などのどっかの本に書いてあったことを体験とは関係なくまるごと引用するなど)「ライトワーカーである」と定義します。

正直、スピリチュアルやライトワーカー、アセンションなどというものは、心の寂しい、よりどころのない人々が最後の駆け込み寺にしている場合が多く、自分では果敢に人生に挑戦できないので、傷ついたまま、ただ知識偏重になって本や講演会で「言っていた言葉」を積極的に引用して自分を防御し、自分に酔いしれ、ある種の自称スピリチュアル世界を形成します。

真のライトワーカーは自分が傷ついていることを認めます、そしてそれを癒すことをまず実践します
真のライトワーカーはスピリチュアルを逃げ道にしたり、自己のつぶれたアイデンティティを形成するためにスピリチュアルを利用しません
真のライトワーカーはスピリチュアルに生きるとは非常に難しく、困難な道であることを知っています。魂として生きるとはこの物質世界では厳しいことです。だからいちいち何かに過剰反応したり、一度歩むと決めたスピリチュアルな道に不平不満を感じて、その度に自分を救ってくれそうな「もっとすごそうな人」を探してスピリチュアルジプシーにはなりません。スピリチュアルとは優しいものではなく、厳しい道のりであることを知っているのです。それが真のライトワーカー、真のアースエンジェル、真のウェイシャワーです。

 

これからのスピリチュアル

 

最近、今までには夢中になって読んでは翻訳していた海外のスピリチュアル記事も興味がなくなりました。何を読んでも、まるで同じことしか書いていない。「あなたは愛です。あなたは愛として生き、この世界を変えていくのです」などなど。もううんざり。1980年代くらいからこればかり言っている人がたくさんいる。

特に自分が励まされることがない限り、最近では翻訳もしなくなりました。自分が紹介したい、訳してでも紹介したいと思うメッセージがあまりなくなった。これらのメッセージも、結局「言葉」によるスピリチュアルな定義づけをしているだけにすぎない。アセンションでもライトワーカーでもそうです。皆勝手に定義づけして、勝手にそれに酔いしれているように、見えます。

繰り返しますが、ウィリアムレ―ネンさんの本を読んでいると、この酔いしれた感、自己陶酔感がないので、安心できます。でもレ―ネンさんの本も最近はあまり読んでいません。必要を感じないからです。

 

でも私はその一方で、相変わらずスピリチュアルな能力を持った特殊な人間であることは変わりません。特別な人間ではありませんが、特殊なのは事実で、否定しても否定しても、それは無くならない宿命です。

スピリチュアルな能力を持ってしまった以上、スピリチュアルな視点から常に物事が見えるのも事実です。私には多くの人には見えないものが簡単に見えてしまう。だから、その視点から生きるしかないのです。だから、スピリチュアルは私が否定しようと反逆しようと、常に私の中にあるのです。

 

でも今の私は、スピリチュアルが好きにはなれません。興味がありません。私なりに出した結論は、やっぱり私にとってスピリチュアルはもっと、いや完全に日常的なものだということです。スピリチュアルは当たり前なのです。決して一部の人の特別な何かではありません。決して不思議世界でもありません。何人がアセンションするかどうかということでもありません。スピリチュアルなヒーリングを学んだかどうかも全く関係ありません。

スピリチュアル、それはただ日常です

それは私たちの個々の生き方です

毎日毎瞬間がスピリチュアルなのです
いずれにせよ、どんな体験もスピリチュアルなのです
私たちの魂が訴えていること、したいこと、導びていること、なのです

多くの人は、世界の多くのスピリチュアリストと自分を呼ぶ人たちは、何か特別なことをスピリチュアルと呼びますが、私たちの本当のスピリチュアリティーや魂の成熟度が試されるのは、日常の場です

インドのリトリートに何回行ったか、そこですごいヨガ行者に出会い、通過儀礼を受けたなんていうのは私にとって地元の盆踊りに行ったことよりも自慢する価値がないことのように思えます

そもそも真のライトワーカーはそんなことをいちいち自慢してみせません

真のライトワーカーは、日常を生きています、ありのままに、人として。
真のライトワーカーは、自分が感情を感じ、情けなさを感じ、不満を感じているのを知りながら、それでも生きていこうとしています。その在り方は時に活力に満ち時に静けさに満ちています。

真のライトワーカーは私たちの日常に存在しています
私たちの魂は、この地球の日常に生きようとしているのです

 

もうやめたい、高尚でお高くとまったスピリチュアル。
理想主義でエゴで固められた、観念的なスピリチュアル。
「こうでなければならない」から解放されませんか?

 

私はもっともっと日常を、生きていこうと思っています

 

 

 

 

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