MY LOVE私の宝石たち,  アセンション~地球と個人が新しくなる時,  アースエンジェルとして活躍するみんなへ,  新しいスピリチュアルな生き方

辻仁成著「人生の十か条」~人生ってスピリチュアル的な理想ではない。

皆さんこんばんは
今年もあっという間でしたが、エマニュエルによると
「この12月は他でもないくらいクリアリングと浄化に適したとき」
なんだそうです。私も今年の汚れを落とす、といいますか、
もう来年にはもちこさないぞ、と思うものを浄化していっています。

ちなみに目の方ですが、今でもケアを怠りませんが
すっかり良くなりました。皆さんからのご配慮と励ましに感謝いたします。

それにしても今年は、去年やその前に比べて記事数も少ないのもありますが、
海外のスピリチュアルサイトからの翻訳ほとんど載せませんでした。

以前は夢中になって読んでは集めていた海外サイトの記事…
いつしか気づかないうちに興味を失っていたようです。

というのも書いていることがいつも
「愛に生きよう、愛しかない。」
「あなたは愛です。あなたの嫌いな人もまた愛。愛しましょう」
「愛しかない世界がとうとうやってきた!!」とか、
相変わらず同じことの繰り返し。

彼らは、この世界で起きている現実を本当にちゃんと見ているのでしょうか?

それとも今の世界とはまったくぶっとんだ9次元や12次元とかで生きていて、霞を食べて眠ることもなく瞑想だけに生きていられるのでしょうか?そういうことが可能なのでしょうか?

私にはいまだにパラレルリアリティのことは分かりません。
今この時点で幾つもの私、幾つもの現実が同時に存在していて、私はその1つを生きているに過ぎない。
選択次第で全く違う世界に行ける…何度かワークして試してみましたが、
別の世界になんてとんでいきませんでした。

ただ完全な次元の変化というのは今年は特に経験しました。
自分のいる次元がまったく変わっているという体験です。
3次元の重い世界から、いきなり高次元の世界へと移行してしまうのです。

それはスピリチュアルエクスタシーであり、まったくの平和と安らぎと幸福しかない、そういう波動状態になり、また自分のいる世界もそうなっています。

ただ、これを経験すると、余計にエネルギーがパワフルになってしまうという難点もあるんですが…今日もそうでした。
書きながらもまた、次元上昇しています。
なので今も上からすごいエネルギーがやって来てそれに包まれている状態です。

話は飛びましたが、海外記事に興味がなくなり、
読まなくなり、訳さなくなったのは、いつも内容が同じことの繰り返しで、

いつも「世界はとうとう変わった」という
私から見れば非現実的な言葉の繰り返しで、彼らの言っていることが、

例えばロヒンギャの人の苦しみのドキュメンタリーなどとは、まったく重ならないのです。彼らスピリチュアルな人達は、ロヒンギャの人たちが見えないくらい高い次元に引っ越してしまったのでしょうか?

それともあえて目をつぶっているのでしょうか、そういう悲惨なことに目を向けると「引き寄せの法則」でもっと悲惨なことが起こるからというのが理由なんでしょうか?

分かりませんが、私には
「今年からとうとう世界は愛でいっぱいになっている」
「20✖✖年には世界は平和に満ちレムリアの再来がやってくる」

などなどの言葉はもう、心に響かなくなったのです。
ふとすると、そう思いたいだけなのかな、とさえ思ってしまうのでした。

だから、翻訳記事は減りました。
今まで訳したものが無駄とは思っていません。
そこから学んだことが多くありました。それらは励ましでした。

それに今でもリサやデニスのように常に「ライトボディへの変容」にフォーカスして書いている記事には興味があります。
これからも、心に響くものがあれば訳して紹介したいと思います。

今年は何度も書いてきたように、
自分では国際交流プロジェクトの方でいっぱいいっぱいでした。

そこでの人間関係で悩むことが多く、誰にも相談もできなかったので
ついここに愚痴のように書いてきました。
改めて読むとホント、本音ではあるけど読む人にとっては
愚痴にしか見えなかったと思います。
人にも自分にもlow energyだと思ったので、
プロジェクト関連の記事は全部削除しました(笑) 

そういう時、スピリチュアルな海外記事は
正直悩みに対して何の助けにもなりませんでした。

誰かとぶつかって、誰かに怒って、誰かに悲しんでいる真っ最中に、
「愛だけに生きましょう」と言われても、何の意味にもなりませんでした。

愛だけに生きよう。
それができるなら、誰も苦しみません。
誰も、戦争もしませんし、この世界は幸福感たっぷりでしょう。

それができないから、悩むのです
だから「愛に生きましょう」は悩みへの答えになっていないのです
どうやって愛に生きる?
愛って何?
それを探しているのです
そして愛だ愛だと騒ぎながら陰口を楽しんでいるスピリチュアルな人よりも、
愛に生きようにも生きられない人間の性、そういうものと
対峙できる人を見て、励まされたり、ほっとしたりするのです

ストレートに「愛の時代だから愛に生きよう」だけでは
説得力がないのです
心に沁み込んでいかないのです

それは最近の、とってつけたような「感動映画」にも言えます
いつからか、余命何か月とか、いかにもお涙頂戴的な感動映画がすごく
増えました。私も映画嫌いとは言え、いくつか見ましたが、正直、
心にしみわたるものはありませんでした。

「作られている」「いかにも作っている」のが分かるので・・・
人がどうしたら感動するかな、を想定して書いている本を題材に映画を構成している感じがするので…ハリボテ的な感じがするのです

人間が本当に心動かされるものって、そういうものじゃないと思うんです
人間の持つ喜怒哀楽、悲しみ憎しみ魂の叫び、不満不条理そういうもの、すべて
出し切っている素直さに、人は感動するんじゃないでしょうか

何か、お綺麗な感動物語はもうごめん、って感じです




スピリチュアル本についても同じことが見えます。
えてしてスピリチュアル記事は
「読んだ人がこういう風に納得するように・感動するように」を想定して、
幸せになる方法論を押し売りしているように見えます

「愛に、生きてますか? 愛に、愛、愛、愛」
と押し付けのように書いています。
だから、逆に怒りや不満、憤懣やる方ない気持ちになっている自分を

「私はダメな人間なのかな、愛せないなんて失格なのかな」
とさえ、思えてしまう。

スピリチュアルな考え方が、逆に自分を責める材料になってしまったのです。

そしてただ愛で解決しようというお話は、
正直現実ストレス満載ブラック満載理不尽社会に生きている私たちには、
ほとんど何の指南にもならないと思います。

だからこそスピリチュアルな本がこれだけ増え、
これだけ講座などが出ていても、
日本人の顔は皆なぜか鉄仮面のように無表情で暗く、オーラが灰色なんでしょう。スピリチュアルな記事や本に書いている通りに生きれば、必ず幸せになるなんてありますが、実際にそんな幸せオーラの人は見たこと、ないです。

そしてスピリチュアルなブログや本が助けにならなかったのなら、
今年、悩んでいることをなぜ誰にも相談できなかったかというと、

国際交流自体に興味や経験がある人が、全く周りにいなかったからです。
これが留学先の大学なんかだと、日本人だけで集まって悩みを朝まで話すことも多かったです。

でも、日本にいると、外国人と普通に触れ合っている人がそもそもほとんどいない。英語を見せると「読めない~やめて~」と言われてしまう。

友達にとっても負担なんだと思い、話せずにいました。
特に信頼していた友人に、その悩みを一杯聞いてもらった後、
「正直言って、重かった」と言われ、すごくショックでした
私だって、その人の重い話を、十分聴いてアドバイスもしてきたつもりでした
友達とは、ギブアンドテイク、お互い様でなりたっています

でも、それが成り立っていないと思われていたようで、
それ以来、私は友人にも「重い」と言われるのが嫌で話せませんでした

だから、ついこうしたブログなんかで現状を書いていた

すると今度は、何人かのクライアントさんからいきなり連絡が来なくなりました。これもまた前回に書いた「スピリチュアルエゴ」だと思いますが、

私や、「スピリチュアルに生きる人はこうあるべき」論に
どっぷりとつかっている人は、
「国際交流にいる人の悪口をかいたり、文句や不平を言うなんて、”ヒーラー”と言えるのでしょうか?見損ないました。あなたから怒りを感じる」などと言われ、(ちなみに私は誰の悪口も書いていませんし、特定の人物を名指しした内容も書いてません)

もしかしたらそれが一番、傷ついたことかもしれません。

なぜ、普通の人間のように、悲しみや怒り、やるせなさをちょっとでも露呈すると、「あなたはヒーラーじゃない」と判を押されるのだろうか。

そんなに私は弱みを見せないようにしなければならないのでしょうか?

人の理想に応えるため、
良い波動最高潮の輝きキラキラヒーラーでい続けてくださいという暗黙の人からの期待は、正直一番きついです。
ヒーラーなんてやめようかとさえ思いました。
本当の自分を見失うからです。

だから、ヒーラーって長続きしない。
結構なベテランの人でも、惜しまれるようなヒーラーが突然止めてしまうことが多くあります。私はその理由って、やっぱり人々の「スピリチュアルな人」への理想が肥大化し、その期待がしんどい殻なんだと思うんです。

そういうわけで、私はどこにも自分の悩みを聞いてくれる人もいなければ自分の思いをぶつける機会もありませんでした。

聞いてくれるという人は大抵外国人で、彼らに英語で自分の心情を吐露することはかなり難しいことでした。そしてやっかいなことに、そこでまた英語による「誤解」が生じることさえよくありました。

でも、目をやられてからは、私は自分のありかたを変えました。
体がストップをかけてきたのです。

体が自分の生き方を根底から変えるように
そそのかしてきました。

まず、もうこれ以上自分をいいように扱う、利用しているようにしか見えない人にまで手取り足取り手助けをしない、突き放すか、さよならすると、決めました。クラブでは少なからず、私の頑張りにぶらさがって何でも私がやってくれると黙って見ている人が少なくなかったからです。

それは仕事のクライアントさんでも同じでした。誰か(私だけでなく他のヒーラーも)を過度に理想化し、理想から外れることを見ると冷めて文句を言ってくるような方々が去っていっても、そういう期待のエネルギーでのしかかってくるような人から自分が解放されたと思うようにしました。

それから、ブログからは愚痴っぽい記事は書かないことにしたものの、友達には遠慮なく、愚痴や悩みを聞いてもらおうと決心しました。今までは国際交流という場面における特別なシチュエーションが多かったので日本人の友達には話さずにいましたが、逆に、私だって誰かに頼りたいと、頼っていいんだと思い、片っ端から人に話してみました。

すると、意外にもみんな真摯な気持ちで聴いてくれました。
そして意見も述べてくれました。

日本人だから、なんでも日本語で心置きなく話せました。

図にした絵にしたりしてあらゆることを説明したり、
そんなこんなで多くの話す機会ができて、
店がしまるまで語り合うこともできるようになりました。

実際に話してみれば、
友人たちは国際交流をしたことがないとはいえ、
それぞれの人生観で意見を言ってくれ、必要な助言も沢山くれました。
結局身近なところにサポートがあったのです。

私の話を「正直重い」と言って酷く攻めてきた元友人は、
今思えば、自分自身が相当重かったのだと思います。

だから、自分だけが何か負担になるような話を「聞かされている」
ようにしか思えない、物事を俯瞰する余裕がなかったのだと思います

友人関係は繰り返しますが、バランス、お互い様で成り立っています
こちらが愚痴ってもあちらも愚痴る。店なんかで管をまいて語り合っても、まあ
いいじゃないですか。
こちらがサポートされたり相手がサポートしてくれたり…
私はその「お互い様」を大事にしているつもりです

でもその一件があってから、それがとてもショックだったので、
それ以来他の友人たちにも心を閉ざしていたのでした。

でも友人たちの意見やサポートは、
いわゆるスピリチュアルな本や記事より私の大きな支えと励ましになりました。持つべきものは友。

からからか、なんだか地に足がついていない「世界は愛になる」的な
スピリチュアルブログとかスピリチュアル予言とかには、
ますます縁遠くなっている私です。

それらが、この世界・社会を生きていく上で、本当に支えになるものと思えないのです。自分の理想ワールドを構築するにはもってこいかもしれませんが…

あえて言えば、ウィリアム・レ―ネンさんの本は生活や実体験に適する、
非常に冷静なスピリチュアルメッセージだと思います。

でも正直、本当にこの人は、このブログは、
心から思ってこのことを書いているだろうか?と響かないものが多いのです、最近。それは欧米の最新記事であっても日本語の本であっても…

今年は、悩みにぶつかることが多かったけど、
実際には本を読んでいる暇もなかったです。

そんな余裕はなく、今になってやっと、年末だし、本でも読もうかなと、みんなはどういう処世術を持ちどう考えながら生きているんだろうと思う余裕が出てきました。

そんな中最近偶然にも出会ったのが辻仁成氏の「人生の十か条」という本。

なんか、書いてあることがことごとく今年の自分のぶつかってきたことにつながっていて、シンクロするする。あるある事典みたいな感じです。

それにこのさばさばとしたそのままの、人生訓みたいなものが
ギトギトした心理学や脳科学やスピ本よりずっと楽に私の心に響きました。

彼は自分の気持ちを「書いているな」と思える文章なのです。
だから説得力があるのです。

同時並行してあるアメリカ心理学研究者の書いた、人を見抜く術的な本も読んでいますが、全く印象が違うんです。

その本はまるで心がそこにないような文章で、「こうすれば人といい関係をつくれる」と書いているのに、そこには魂やその人の温度がこもっていないのです。

ただ何かや調べものや研究結果に自分が頭で考えた理論を合わせているだけで、七転び八起きしてきた人間の生身の言葉ではないのです。

思えば、だから最近のスピリチュアル記事も、
訳さなくなっているのかもしれません。

彼らは彼らなりに、スピリチュアルなこの地球と人の変容を一生懸命伝えようとしているのは分かります。

でもある意味そのやり方が形骸化してきていて、皆同じことを言い続けている、そこには、魂がこもっている・実体験での悲喜こもごもの思いがこもっているようには、見えません。

そういう意味で言うと、
辻仁成氏の「人生の十か条」は自分の心から書いているのが分かるので、
ダイレクトに言葉が入ってきやすいのです。
そして学ばされることが多くありました。

やっぱり人って、宇宙やUFOや高次や天使ばかり見ていてはダメなんですよ。…と天使を伝えるヒーラーが言うのもなんですが?でも、そうなんです。

やっぱり、人間と生きているので、地に足つけて地団駄踏みながら、

それでも生きていく人間にこそ、本当の説得力があるのではないかと思います。

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