アセンション~地球と個人が新しくなる時

ワールドカップ/サッカーのスピリチュアリティ~古代からの旅路Are you a soccer player as a light worker?

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前世はローマ?それともインカ帝国ですか?

私は自分がサッカーファンだとは思いませんが、
ファンじゃないわりには昔から試合を見てきました

一時は日本代表の熱狂的サポーターのサークルに入っていて、
サッカー協会にその件でいったこともあります

サッカーを話題にしたフリーペーパーを作っていたこともありますし、
今のサッカーについて物申すとばかり新聞に投書して載ったことも・・・

結構ファン?なのかな~
だけどルールはいまだによく分からないのです、、、。

時期的にワールドカップとサッカーについて書いてみたいと思います。

ワールドカップの試合に出てくるような選手たちは、
もちろんエネルギーも高く、強いです。普通以上の生命力を感じます。

実はワールドカップ出場選手たちっていうのは、
前世(私は他の転生と言う方が好きですが)で“戦士”だった人が多いです。

ところで私の場合、人の前世って言うのはその人の体に沿って昔の姿がボウっと

ビジョンとして出てくることが多く、通常見ようとしていなくても
それらビジョンは浮かびあがってきます。
逆に無理に「観よう」と観察すると見えてきません

ワールドカップに出てくるようなレベルの人達は、
多くが古代の時代において戦場に出て戦っていた戦士です。
”戦士”と言うのは、武器やテクノロジーが発達した近代の軍人とは違います。

例えば古代ケルトは戦いに優れた文明であったそうですが、この時代の戦士であるということは、
勇気・知恵・能力・直観・野生のカン・生身の体をはって前線に出ていく思い切りなどが要求されました。

人間としての色々な面を磨かなければならなかったのです。とりわけ勇気を・・・
それって、まさにサッカーに必要なものですよね?そして今サッカー選手はそうした総合力を磨き合っています。

人間の歴史と言えば悲しいかな戦争の歴史です。
だからどの人も戦場に行って殺し合いなどしてい戦場にかりだされた前世は持っているはずです。
ただ、ワールドカップに出ている人達は、歴戦の勇士、“勇者の中の勇者”、
王様に重宝されるようなトップアスリートならぬ“トップウォーリアー”でした

手柄もたくさん立て、プライドも強く、その時のエネルギーや能力を今も持ちこして今世に生まれてきています。
それらを用い、今度はサッカーのピッチで争い、競い合っています。

前世でケルトとローマで戦っていた同士が、今は敵味方になり合い、
その頃経験できなかったこと・未消化のエネルギーやカルマなどを、
もみくちゃに絡み合いファウルを出したりイエロー出したり勝ったり負けたりしながら皆でバランス取り合っています。

だからワールドカップの場というのは、独特のエネルギー場であり、

他のスポーツが持っていない一種の“オーラ”〝磁力”を持っています。
それはまさに、古代ギリシアやマケドニアなどの戦いの場のエネルギーが今も溢れています。

だからといって、選手たちは昔のように命を奪い合っているわけではありません。
人類は進化し、あっちもこっちも戦争と言う時代ではなくなりました。

国の威信をかけて武器を取り合っていた時代からボールを蹴りって戦う方向に変わりました。
変わった、というよりエネルギーを昇華させたのです

選手たちを見ていると、不思議と古代ばかりが見えてきて、ナポレオン以降の時代や近代は見えてきません

また主にヨーロッパ大陸の方面ばかりが見えています
これは戦いのエネルギーヴォルテクスがまだ欧州大陸に残り、
だからサッカーのメジャーなクラブがヨーロッパに集中している、ということなんでしょうか?

なぜ、古代なのでしょうか?

古代、彼らが生きた戦火の時代は人権などまるでなく、
民衆が情報やネットワークでつながり生きる最低限の権利を主張
することもゆるされない時代でした

聖なるものに対する畏敬の念は今よりありましたが、ベースは欲望と権力と支配でした

人間は命をまるでモノ扱いし、それでも許されていました
だから奴隷や生贄、気に入らなければ処刑や王から惨殺されることもあったわけです
ある意味、人間が未進化なだけ残酷な体験もなまなましく
”古代の戦士”であるということはまさにそうした残酷な有様に常に直面しなければならなかった。
それだけ傷は大きかったのです

しかしそれだけ学びが大きく、気付きが大きいという意味でもあります
苦しみが大きいと、何かを昇華させ変容させようという魂の力が本当に台頭してきます

人間は今でも暴力をふるい、「人間など、所詮残酷なものなのさ」と分かりきったように
言う人もいますが、
すべてそれはエゴの側面で、基本的には幻想です
魂にはそれらは何らの意味も持ちえません
私たちのスピリットにはそれらは無縁です

戦士として多くの体験をしてきた魂たちは、気付きを得、そこから這い上がるまでに上昇し
傷が深かった分、集合的に強力な力で新たな方向性を生み出しました

人類は戦場を設置するのではなく
サッカーを通して負けたり勝ったりしながら、
お互いを成長させる、究極的には自分自身を成長させる機会を作ることを選んだのです。

サッカーは好戦的なエネルギーを成長のエネルギーに変える、
という集合意識のつくりだした1つの道具です。それは平和の道具です。
いわば、エネルギーの切り替えが生んだ平和の産物です。

私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、
より勇者と見る。
自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ
―アリストテレス

戦いのエネルギーを今も持つサッカー。
だからサッカーはたびたび代理戦争と呼ばれてきましたし、
文字通り代理戦争をそこでやっている面はいまでもあります。

確かに皆が自分のエネルギーをここで出し合い、気持ちを発散させたりして
国同士のエネルギーバランスもとる役目を果たしています。

ワールドカップ級の試合になると、それぞれの国の集合的エネルギーも、
多少その勝敗に影響を与えていると思います。
どのスポーツよりも国や民族を代表する感覚が強く、
ある意味では国民の不満や民族間のストレスを発散させる場になることもあります

それに躍起になったり夢中になりすぎるとファンが暴徒化したりします

また、戦士としてのエネルギーが強い人たちはそのパワーをうまく操縦できるようになる
ことが課題でもあります
感情的になって相手国とケンカまがいのファウルを出すなど、暴れ者のような選手(戦士)は
いますし、それはチームと言うよりその人の課題そのものを表しているんだと思います
(そういう選手に限って魅力的だったりするのは、私たちの中に強い戦士への
憧れがあるからでしょう)

それでもサッカーの本来の目的は
実際の戦争から人類を引き離し、戦い合いはするけれど
それはそれぞれの魂を成長させるためという戦いに少しづつエネルギーシフトしていくことです

サッカーボールはよく地球そのものに例えられることがありますが、
それは地球上でサッカーの持つ意味を端的に表していると思います。
サッカーは世界を一つにするためのツールで、国や民族、個人が持つエネルギーの
方向性を与え、あるいは変容させるためにサッカーは地球に必要なのです。

 

 サッカーと新しいスピリチュアルな時代

地球はどんどん変容していて、
今年のワールドカップはこの6月という、
とてつもないスピリチュアルなエネルギーが流入している、
ある意味ストレスのかかるエネルギッシュな時期に開催されました。

その中にあって、サッカーの持つエネルギーも変化しているでしょうか?私にはそうは見えません。

残念ながらプロスポーツとしての、ビジネスとしてのサッカーの、
サッカーを取り巻くエネルギーはまだ重いままです。
ヨーロッパリーグなどを見ているとズシーンと重くなることがあります。

おそらく、サッカーがあまりに地球規模のビックビジネスになり、
それによってものすごい数の人の欲や巨大マネーなどが一緒になって動いているため、
まだサッカーは歪んだ男性性のエネルギーが支配する魚座のエネルギーに満ちています。

その一方で地球に生きる人々はスピリチュアルレベルで気づいていようといなかろうと、
今の変容のエネルギーに影響を受けて揺さぶられています。

「これでいいのか、こんなのではいけない!このままでどうするんだ!」という叫びが、
今のブラジルの大きなデモと反発のうねりとなって表出しています。

これは見逃してはならないことで、これを機に今世界がどんな変容やバランスを取る必要があるのか、
伝えようとしています

これはサッカーそのものに対する抗議ではなく、
それを取り巻くあるいは世界を取り巻く、
歪んだすでに機能していない行き詰った社会の在り方への警告で、
エネルギーレベルでも人々は揺さぶりをかけずにいられない時代にあることを示しています

人々は
変容したいと魂のレベルでは強く促されているので、
真の豊かさや平等性、自己の実現などに反するものに対し、
もう目をつむっていることも黙って我慢することもできません。魂が叫んでいるのです。

デフォルトとしてのサッカーは、戦闘的エネルギーを変容させたもので
常に平和の象徴であり、地球になければならないものですが、
それを機能させている社会そのものには、問題課題が山積しているということです。

私はこのワールドカップの時期にNHKが
サッカー中継と同時にブラジルの貧困についてのドキュメンタリーを連日放映してくれたので自分のバランスが取れました。

自分の中でも、今世界に起こっていることをワールドカップという一時のお祭りで隠してしまうことは出来ませんし、
サッカーを楽しみたいというワクワクと、人々が変容したいという意識の流れとを、今両方感じて観るバランスが
必要だと思ったんです

日本代表のエネルギー

どういうわけか日本の選手を見ていて、
前世で古代の戦士だったという人を見かけません。
私にわかるのは、大久保選手くらいでしょうか。
もしかしてお侍さんだった人はいるかもしれませんが・・・

島国日本のお侍と、古代ローマの戦士ではスケールが違います。
またお侍さんそのものが同調性のエネルギーの方が強く、個ではないし戦闘的ではありません。

そもそも日本人で、際立った戦士だった前世を持つ人を見たことがありません。
日本人に生まれた人たちはどちらかというとおっとり、平和主義、そして協調性を好む魂か、
そうありたいと望む魂が多い気がします。

それが集合意識にも働いて、世界でもまれにみる平和な国であり、
平和主義憲法を持つ国になったのでしょう。
それはあまりにも素晴らしいことですが、ことワールドカップの”戦場“に立つとなると、
この”戦士としてのスピリット”はどうしても必要になります。

サッカー論としてではなく、単純にスピリチュアルなレベルから観て、
前述したようにワールドカップは百戦錬磨してきた戦士たちの新たな戦いの場として顕現しているもので、

出てくる選手の多くはそうしたエネルギーを体から湧き上がらせています。
弾丸のように前線に向かいシュートする姿は勇ましい戦いをしてきた誇りのようなもに裏付けられています
一般的に、前世で得意としてきたことは今世でも得意なのです

私が偉そうに言う立場ではありませんが、彼らが出すのと同じだけの強いエネルギー場を
”出せる・創造する“ことが勝つために必要なのでは・・・
それはサッカースキルや知識とは違ったもので、
すべてのことにスピリチュアルなレベルでの動きがあります

日本の選手は総じて皆エネルギーが優しいです。そして整然としています。
ワールドカップは戦士の場なので、整然とするより、躍動する野性的なまでの爆発的エネルギーを必要とします。
そもそもそれを爆発させ顕現させるために今世ここに出場しているんだ、っていう人たちの集まりですから。
これはちょっとリーグ戦とも違うんですね。

さて日本代表の選手についてちょっとだけ・・・

ウッチ―は一人だけエネルギーが軽くて、青い輝きがあります。
どうしてなのかはわかりません。彼がイケメンだとか、アイドル並みに人気があるから
特別そう言っているのではなく、単純にキラキラしたものを持っているのです。
彼はもしかしたらクリスタルチルドレンなのかもしれません。

うっちーはアイドルのように取り上げられることが多いですが、

おそらくですが実際にはいろいろなことを考えられる人だと思いますし、
社会貢献や、サッカーを取り巻く環境やシステムを変えていくことへの貢献などが合っていると思います。

とてもエネルギーが良いのは長友君です。
彼はエネルギーがぶれませんし、コアがしっかりしています。おそらく、自分という基点から周囲を見ることが出来ます。
そして明るいエネルギーを持っています。日本の男性ではなかなかないエネルギーの持ち主です。

長谷部君は、信じる信じないは別として、
薬草の精霊が近くにいるので、アスリート向けのハーバルデオドラントや
健康食品などを開発するのも合っていると思います。
エネルギーがしっかりしてクリアな人。

本田選手は、皆さんこの人は戦士だったんじゃないの?っていうかもしれませんが
私にはそれが見えてきません。
彼はどっちかというと今世、メッセンジャーです
他の転生でもそうだったと思います
何か伝えたいことがあるから生まれてきた、あるいは今回はきちんと伝えた人。
以前は誰か哲人の弟子とかだったのかもしれませんね

ところでサッカー選手でスピリチュアリティーに関心のある人はいるのでしょうか?
願わくば、ぜひそういう選手がいてほしいです。
2000年代に生まれるレインボーチルドレンたちが代表に選ばれる頃には、
彼らにはスピリチュアルなレベルでの理解と指導法も必要になってくるでしょう。

こうした子供たちは今の時代の人間よりずっとスピリチュアルな意味でセンシティブです。
体もライトで、意識も平和主義です。傷つきやすく感受性が強く平和主義なので
サッカーには向かないかもしれませんが、
そうなるとまた、サッカーを取り巻く変容がその世代を中心に起こると思います

サッカーにもスピリチュアリティは必要です。
なぜなら書いてきたようにサッカー自体がスピリチュアルな背景を持っているからです。

サッカーがこの地球に出現した本来の目的―平和な方法で地球を一つにする―という大きな使命のために、
ビジネスとしてではないサッカーの普及交流、
またサッカー選手からの平和への呼びかけがもっと深いレベルでなされて行ってほしいです。

サッカーが地球を平和にする使命があるということは、
サッカー選手になるということも地球を平和にする使命を持っている、”鍵を持っている”ということ。

そうしたpeaceful actionの先頭に立つ選手は
“サッカー選手としてのライトワーカー”なのだと思います。

もはや選手か戦士かではなく、ライトワーカーです。
そうであるならば古いエネルギーから脱却するための変容に伴い、
さまざまな痛みや苦しみがあり、周りとの軋轢もあるかもしれませんが、
それと同時に、今までにはなかったようなプレーを可能とする“真のファンタジスタ”にもなるでしょう。

これはサッカーのプロ選手だけにあてはまることではなく、
サッカーを志す人、引退した選手、怪我などで今は選手を辞めてしまった人などにも
当てはまります
本当の意味でサッカーのスピリチュアリティが開放される時には
サッカーは平和の道具として、今までになかったくらいの可能性と拡大の力を秘めています

 

 

 

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