アセンション~地球と個人が新しくなる時,  スピリチュアリティーつれづれ日記,  地球とガイア~スピリチュアルな視点から,  新しい友へライトワーカー達へ

NHK“冒険の共有” 栗城史多の見果てぬ夢 を観て思ったこと感じたこと伝えたいこと…

栗城さんの生涯について、というよりその生き方について「検証」した番組、

“冒険の共有” 
栗城史多の見果てぬ夢

を観ました。
偶然でした

いつも新聞とかで番組確認とかあまりしないので、まったくテレビつけたらやってた、という感じです

栗城さんについては、もう語るまでもないのでここでは省きます
私としては非常に切ないというか、考えさせられる、問題提起の多い番組でした。

ここではスピリチュアルな視点から、登山家、そして栗城さんについて思うところを書いてみたいと思います。非常にスピリチュアルな観点から書いていきますので、スピリチュアルなことをもともと受け入れられない人には意味のない記事です。

でも、この世に起こるすべてはスピリチュアルなことなのです。
彼の人生もスピリチュアルなものですし、彼の遺したものもスピリチュアルなことですし、ここで私たちが学ぶべきこともスピリチュアルなことなのです。

ネットでは、どのようにこの番組放送後騒がれるのだろうと調べてみましたが、

「栗城を煽った責任はNHKにも十分あるはずなのに、彼の最後をネット社会の責任としているところが無責任」という意見が多く、またやっぱり彼は無謀だったという意見が多い、と思いました。そもそもそれ以前に、去年彼の最後を見届けてまで悪口をいている人達がいたとは…

まず最初に言いたいのは、誰かが亡くなってまでその人を敵対視したり、
誹謗中傷したりすることは、絶対にしてはいけないことだってこと。
魂を安らかに天に還してあげてください、あなたにとってどんなアホでもバカでもノータリンでも嫌いな人でも…よほどの大規模な人権的侵害をした人物なら仕方ないでしょうし、歴史を繰り返さないためにその罪を検証する必要があるでしょうが、

そうではない限り
どんな魂も、一生懸命にこの地上で生きています
彼は人並み以上に生きたでしょう

そういう魂を鎮魂しない姿勢というのは、・・・・まあここでは書きたくないので詳しいことは書きませんが、一言で言うと、あなた自身が波動が低くなりすぎて、成仏できなくなりますよ…

だから、彼の生き方や山登りの仕方がどうのこうの、スポンサーとの関係がどうのこうのと今になってまでどうこう言うのは、まず「自分にとって」良くないです。

彼のやり方は無謀だったとずっと言われてきました
でも、私から見れば「登山」自体がそもそも、人間にとって無謀なことなのです

登山家から批判が来ることは承知で書いています

登山はもともと、自然に反することなのです


山は、ハイキング程度がもともと人にとっての適度な山との付き合いです

かつて自然と最も調和していたレムリアの時代には、人は高山などに無理して命かけて登ったりはしませんでした。それらは祈りの対象であり、その代り、キノコみたいな(まさにキノコの山)ポコポコした小さな山、というか小山か丘みたいなところにお散歩にいって、大喜びして山菜取りをしたりするのが、レムリアの時代の在り方でした


登山はもともと、自然に抗っている…無理している。そう言えば、あれもこれも人間のすることは自然に反していますから、私は特にあれこれ責める権利はありませんが、栗城さんの登り方云々以前に、登山がいかにも美的にとらえられること自体がおかしいのであって、基本的に自然に反している、自然に抵抗している行為だということは、私は自然の精霊から伝えるように言われています

山は、地球において、非常にスピリチュアルな存在です

しかもほとんどの山は、男性性のエネルギーが強く、男性性エネルギーを保持させています。

男性性のエネルギーの存在は、そう簡単には人を受け入れてくれません
厳格な父親、のような存在です
せっせと働いてくれますが、
優しく抱き留めるように私たちを受容してくれません

山とはスピリチュアルな視点で見ると、聖なるポータルなのです
地球に宇宙的なエネルギーを大量に受け取って受信してはそれを地球上に拡散することが目的の聖なる存在です

山は常に自分の仕事で忙しく、それを人間にごちゃごちゃとジャマされたくはありません。本当は、山は人が踏み込む領域ではなく、聖なるポータルとして、畏敬をもって外側から祈るべき場所です

特に登山家を魅了してやまない地球上の大きな山々は、私が写真だけで観る限りでもほとんどが男性性のエネルギー満々で、全く人を受け付けていません

あまりにも聖なる場所すぎるので、本当は人が入ってはいけない
スピリチュアルな能力をお持ちであれば、どこまでだったら、踏み込んでもいいということを、山神様に聴くことができるでしょう

そう、すべての山には山神様がいます
非情に強い山神様です
その山が聖なる「仕事」をしている量が多ければ多いほど、山神の力は非常に強くなり、人が制御できるような力ではありません
そしてすべての山には精霊が多くいます
また、信じられないでしょうがすべての山には龍神も多く飛び交っています

ここはスピリチュアルな存在がスピリチュアルなことをして地球を守って保持していくポータルなのですね。だから人が楽しみや自己満足、自己顕示欲のために、達成欲のために入って行っていいところではないのです、本来は

特に2012年以降の地球は、超大規模に変容を繰り返していますので、山は非常に大働きしています。くったくたです、もう。宇宙からの新しいエネルギーを信じられないくらい受信して地球上を変えるべく支えるべく働いているのです

だから、ちょっとピリピリしています
だから、2012年以降山に登る人は気を付けてください
聖なる地球、ガイアの行いをジャマしてはいけません
今の地球はよって、安易に登山するとすぐ道に迷ったり遭難しやすいです

山自体がエネルギーを受け取ってしっちゃかめっちゃかなので、そこに人間が入ってきて自分の満足のために登頂に成功するぞ!!とかいうのは、もう目障りなのです。放っておいてあげてください。例えば富士山とか。ものすごく大切な地球のポータルですが、人が荒し過ぎています

だから、富士山行く人はせめてゴミくらいはちゃんと回収していってください

昔のシャーマンなどはそれを良く分かっていました
自然の中には、入ってはいけない、侵入してはいけない領域があると…
今でもそうしたことを守っている民族もあります

でも、現代人はもう平気であれやこれやの山に登っていきます

そしてそれを達成することが素晴らしいことだと、皆称賛しますが、
その在り方自体が私には疑問です

だから、栗城さん以前に、登山するってことの意味を考えてほしい、と精霊は言います。特に今の地球は、です。

私は山と話せます
不思議で、信じられないでしょうが、私はすべての山と話すことができます
そこに潜む最も大きな精霊と繋がり、今その山が何をしているのか、どういう状況なのかを聴くことができます

例えば家の近くから見える泉ヶ岳。
美しいですね
でも震災以降、毎日のようにエネルギーは変わっていました
私は泉ヶ岳のスピリットと繋がり、どういう状況か、何が起こるのか、いつも聴いていました。山と繋がると、今の地球の状態が分かります。山を観れば、その場所や近郊のエネルギー状態を観ることができます。

私は山に踏み込みませんが、山との繋がりはある意味では登山家以上に強いです

以上書いてきたように、山は神聖な役割を果たしています
なので、それでも登りたいという方は、神聖なるエネルギーにチャネルして、しっかりその山の山神様・精霊・龍神と仲良くなってからにしてください
山の声、が聴こえるようになれば、受け入れてもらえる可能性が高いです

そして、祈りをささげてください
山を登ることで、満足を得てインスタ映えした写真をとらせてください、ではなく、山に行くことで、そこで得たことを地球のために、愛として還元して必ず返すと。

山は、愛ある人しか本当には受け入れてくれません
山への愛ではなく、山登りへの愛ではなく、地球・ガイアへの愛と畏敬です

地球のために登る人しか、本当は受け入れてくれません
本来は誰も受け入れたくないのですが、人が入って行くためには例外的に、登頂することによって愛をこの世界に拡散させられる人のみを受け入れます

そういう者に対する、山神様の目はとても優しいです

それ以外の人は、登頂に成功していても、非常にガイアに抗ったことをしています。気づいていないだけです

本当の愛でなければなりません

本当は自己が満足したいのに、「皆に勇気を与えたいから」と説明しても、人は納得してくれても、山神様にはお見通しです

だから、エゴが強ければ強いほど、山からの「支援」がなくなるので、登山には危険が増していきます。一般的に登山が危険だらけなのもそのわけです

山の神々は、スゴイ山に登頂成功する人より、山のゴミ拾いをしている人を何より愛しています。そういう人が大好きです。龍神もまた、そういう人が大好きであり、山のすそ野で山を見ながら一生懸命に掃除をしているような人に莫大な聖なるエネルギーを与えてくれます。半面、ただ自分のために登る人を容易には受け入れず、危険を沢山与えます。帰るようにいっているのです

話はずれたかのように見えるかもしれませんが、大事なことなんです
山はスピリチュアルなポータルなのです、踏み込んでいい場所ではもともとないので、だから栗城さんのやり方が間違っているとか無謀だとか、誰も言える権利がないと思います

彼はただ自分に挑戦していました
確かに彼は、多くの重圧によって「殺された」のかもしれません
そう言う見方もできます
でも基本的には、彼が選んだことなんですよね
どう生きるかも、どう登るのかも、どう「ガイア」と接触するのかも。

またどうアンチな人をとらえるのかも、どう応援者をとらえるのかも、すべて彼自身の選択です。だから、結局誰のせいでもないと思います

確かに「煽られた」部分は十分あるでしょうが、そもそもそれら外野に「煽られてしまう自分」であるのもその人の責任であるし、「煽らせている」のも自分です。煽られる人って言うのはいわば煽られオーラを持っています。

すべて有名になる人は必ず何かや誰かに煽られ翻弄されます
それは皆承知の上で生きないといけない、っていうネット社会です


マスコミが過剰であり、ネット市民が気まぐれで時に暴力的であることは、
誰でも知っていることです。 何かを公開する時は、一般人であろうと有名人であろうと、覚悟の上で公開するしかない、時代ですよね

私だって、「スピリチュアル」ということがだんだん受け入れられてバカにされなくなってきたと肌身では感じて安心していますが、ちょっと前までは、どれだけ嫌な思いをしたか…それで100回くらいはブログとかSNSはやめようとしましたが、応援してくれる人達あってこそ続けられました

でも、SNSはほとんどやめましたし、インスタも休止状態。
SNSは、本当に問題だらけで波動低いです

特に、主にネット経由で有名になってそれらに翻弄されやすい立場になっている人は、自分を見失わないように人生を上手く操縦する必要もあるでしょうね

それをこなすには、すごく精神の力がいりますし、考え方観方を変えていかないと、多分対処できないと思います。

私には、登山以前に、彼がそうした煽られやすい社会での生き方、こなし方がうまく行かなかったのではないかと感じました

外野の声の方が自分の中の本当の声、(エゴではなく)魂の本当の声より大事(おおごと)になってしまっていた。その外野がマスコミであろうとアンチであろうと登山家であろうとファンであろうと同じです。

とにかく、自分の心の声よりも、外野の声の方が自分の中で大きくなってしまい、最後には自分が何をしたいのか、自分でもよくは分からなくなってしまっていたのではないかと思います

また、NHKだって彼を煽ってきた張本人なのに、その責任を自ら問わず、「ネット市民」からの重圧が問題、とするテレビの主張に、違和感を感じた人々が多くいたようですが、私もそれはそう感じました

ネット社会の責任を問うだけでは足りない、というかフェアではないと思います

マスメディアの取り上げ方やスポンサー側との関係性も鋭く
問題視してほしかったです

それって、誰しもがネットでいきなり明日からスターに慣れてしまうこの時代では、他人事ではない時代ですし、多くの人にとってすでに他人事ではないことでしょう。

でもその一方で、この一件をあえて取り上げたこと自体で、NHKは彼とある意味、彼がしてきたことを「共有」したのではないでしょうか。メディアの人々が、こうした番組を作る中でその後多くの人が、メディア自体の責任を問い、問題視することぐらい、想定内だったと思います。あえてそのことに触れないのはアンフェアだと思いますが、そのアンフェアさがこの番組によって浮き彫りになり、人々の議論と批判の的になることくらいは、分かっていた上で作った番組だったのではないでしょうか?なにしろ、彼を取り上げてきたNHKですから…

それでもあえて彼のことを取り上げて、一つの課題、一つの議論、一つの考察の機会を提示したこと自体には、この番組の制作者さんに感謝したいと思います

ただ忘れられていっていいことだとは、思えないからです

そう、ここで「共有」しないと、いけないことだった、と思います

彼の夢と目標は共有でしたよね
それは最初は純粋な思いからだけで始まったのだと思いますが、

ネット社会って、簡単には「共有」「共感」を実現できないんですよね
一見、出来るような感じもするんですけど、そう簡単なことじゃないです

一時的には共有ができても、必ず分離が起こってきます

人は、皆違うからです


ある時ある時点で、すごい共有が起きて、すごく感動すればするほど、もっと共有していきたい、共有は素晴らしい、と感じます。

でも次も、その次も、と思っても、そう簡単には共有って起こらないんです。共有が起こる瞬間、それは人が作為的には作れなくて、かなりシンクロニシティ的なものだと思います。本人もこれがまさか、と思うようなことですごい共感されたりするもので、逆にこれがこれがと主張し始めると、うざい扱いされます。

私自身、ネットを駆使していろいろと、日本ではあまりにも関心の薄いスピリチュアルなことを一生懸命に伝えようとし、共有しようとしてきた。
だけど失敗し続けてきたので、よく分かります

大事なことは、共有できる人、共感し合える人達が、コツコツとやっていくうちに自然と集まってくる、それを続けることしかないです

いきなり有名になるユーチューバーとかがうらやましいと思う人もいるかもしれませんが、そういう人達もいつまでも共感してもらえるわけではありません

人の関心は特に情報の洪水の中で生きている現代ではすごく移ろいやすいです

また、これはスピリチュアルな側面から見たことですが、人の変化が色々な意味で激しい時に今私たちは地球にいるので、誰の人生も誰の感情も考えも非常に変化しやすく、変化しないとおかしい、今地球に流入する新しい流れに乗っていないということなので、どんどん変化していくのは当たり前なのです。

だから人々の関心はすぐに移りますし、人気者がずっと人気者でいられるわけがない、って言う時代です。でもあまりにも一時的に成功してしまい関心を得てしまうとそれを失うことをおそれ、いつまでも人の関心がほしいがために、ドツボにはまっているユーチューバーやインスタグラムの「スター」、スーパーブロガーさんやインフルエンサーなどが山ほど溢れています

誰かに共有や共感を求めていくよりも、自分が本当に愛していて好きなことを、ずっと続けていく、そこで出会う仲間たちを、大事にする、っていう生き方のほうが、正しいのではないかというのが、私の結論です


でも、それでも彼の中には愛がありました

私はそれをはっきり感じます

だから切ないのです、心に残るのです

ある時から、エゴや外野に翻弄されるようになったかもしれないけど、確かに彼には、人生に対する、情熱に対する、生きることに対する愛がありました

また、人間というものへの愛がありました

会ったこともないのに、偉そうに言ってしまいすみません

でも私、ここはヒーラーなので、それがすごく、分かるんです
その魂のエネルギーが…

自然への愛というよりも、生きることに対する愛、人間・ヒューマニズムへの並々ならないこだわりです

人間に対する関心と愛がなければ、そこまで人の言動に翻弄されたりはしなかったかもしれません。有名人の中には、翻弄されないようにするために、自己防衛になり、逆に誰の反応にも反応しない、固いとざされたハートを持っている人が山ほどいますが、そうやって自分を守って生きているのでしょう

でも、それが彼はできなかった
人間に対する、愛と関心の方が、強かったのだと思います
だから、アンチの言うことも含め、気になってしょうがない。
放っておけない。感情的になってしかたない。

でもそんな情熱的な生きることへのあくなきまっすぐさと情熱が、

それが、人を動かしたのだと思います

彼をスポンサーを取るのがうまいやつ、とかいう人もいるけど、

実を言うと彼は人を自分のオーラで引き付けて生きていた人だと観えます

オーラが、魅力的で、目を離せなくなってしまうようなパワーを持っているのです。オーラがまっすぐで、強いのです。それが、ファンを集め、注目を集め、お金を集められた理由です。交渉の上手い権謀術数の上手い男、みたいなのは、違うと思います

彼のエネルギーはとても柔らかくまた強いもので、今でもその魂のエネルギーシグネチャーは変わりません

この魂は、これからも強く、失敗をしながら進化していくんだな、と思います

この栗城さんという「魂」は、その生涯をもって失敗も翻弄もすべてを見せて人に生きるとは何かを伝え、自らも進化し続けていくのでしょう

人は永遠です
人は永遠に生きているのです、人の魂は。

彼の魂は今でも挑戦しています

そして、彼のこの地球での今回の転生は、これからもあらゆる意味での教訓や考えさせられることを遺して、人の挑戦とは何かを、人と自然とは何かを、訴え続けていくのでしょう

そういう意味で、彼は今回の転生を全うしたとも言えます
彼なりの、譲れない頑なさをもって自分のしたいようにすることを貫いて、今世を行き来ったのだから。そしてその貫き方はあまりにも鋭く激しいので、人に大きな問題提起をし続けていくでしょう

私は滅多に転生を終えた魂とはチャネルしませんが、ミディアムとしての霊的能力も持っています

魂としての彼が、

「僕はもう満足だ、でも挑戦しつづける」

と笑っていってる栗城さんの笑顔、
手を振って去っていくその姿を、私は見ました






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