陳情令が人気のわけ:魏無羨と令狐冲は似ている

さて前回の続き。
なぜ陳情令と笑傲江湖は似ているか?
なぜ令狐冲と魏無羨は似ているか?

の話。

出典:ゲーム用サイト

1.そもそも令狐冲と魏無羨の人生が似ている

陳情令の主人公、魏無羨は孤児ですが、人並みならない天才武芸家であり仙術家でもあります
そんな彼は、仙問一大宗家の江家に引き取られ、師匠に溺愛されて一番弟子になりました

でも、いたずらっ子で天真爛漫なウーシェンは優等生的に生きることができません
それより楽しみながら自分の好き勝手に自由に生きたいのです

それが周りの叱責を買うことにもなるのですが、天才だからどことなく許されてしまうところもあり、
魏無羨とはそういうやつだということは江湖の人々は知っています

魏無羨は江家の奥様には疎ましがられますが、その代わり義理の姉となるには母のようにかわいがられています
そう、彼にとっては最後まで味方してくれる母がわりの存在が義理のお姉さんなのです

彼は実際には天涯孤独の身ですが、その明るさからそれをはねのけ、楽観的に生きている。
大きな仙門の江さん(師匠)の息子同然に育ったこともあり、

非常に頭が切れますし、機転が利く。寂しい身ですが、愛されてもいるので寂しくはない。

 

他方、令狐冲もまた孤児で、3歳から剣術の宗家である華山派に引き取られ、
その才能と非凡さゆえに、岳夫妻に大事に育てられて
同じく一番弟子になりました。

ウーシェンのように自信家ではありませんが、人ができないことをひょいひょいとやってのけてしまう。
なぜか人が集まってきてなぜかその魅力に引き寄せられてしまうような人間であり天才剣士です。

そしてまた彼も自由を愛し、天涯孤独で、天真爛漫で、でも運命を恨まず、楽観的で明るく、
楽しく生きた方がいいという自由放蕩人です。

また、彼は金庸の主人公の多くがそうなように、義侠心を何より大事にします
人を助け、正義をいき、悪をくじき、祖国や宗家など自分の故郷となるものを守り、
人を愛し、人を想う。そういう人です。

 

魏無羨も令狐冲も、酒が大好きです。無類の酒好き。
酒とくれば機嫌がひたすらいい。
どこに行くにもその土地の酒のことをまず考えます。

このあたり、ちょっと似すぎている感があり、どこに行っても酒を探して酒を飲んでいるシーンがでてくると、
私はまるで作者が、魏無羨(ウーシェン)は令狐冲からヒントを得ているよ、
と暗に伝えるためにわざわざそうしたように見えるのです…

魏無羨も、何より大事にしているのは義侠心です
善きものをさらに善くし、あしきものはくじくのが、彼の信条です
どんなに放蕩野郎でも、自分勝手でも、いざ誰かが傷ついていたら放っておけません
だからますます自分が傷を負うことになります

 

2.物語の中での2人の立ち位置

この2つの物語は基本全然違います
陳情令はそもそもが青春群像劇でもあり、友情をベースにしているから感動する話です
笑傲江湖は若い剣士が恋をしながらも成長していく過程を描いています

ただ、違うのによく見ると人生展開が似ているのです

物語中、魏無羨も令狐冲も、自分は悪くないどころか正義のために生きようとしているのに、
濡れ衣を着せられたり勘違いされたりして理解されずに、だんだんと孤独になっていきます

そして最終的には、誤解されて疎ましがられるどころか憎まれて、

ウーシェンは義理の兄弟でもある江澄に、
令狐冲は師匠に、見切りをつけられ捨てられます

2人とも同じく、門派から追い出されます、破門です

でも2人とも同じく、他の人にはない力を得ます
ウーシェンは独自の術を生み出し、そして2人とも同じく、他の人にはない力を得ます
ウーシェンは独自の術を生み出し、令狐冲は隠遁していた秘術の賢者から謎の剣術を継承します

2人とも同じく、良いことのために自分を活かしたいと思っているのに人格を疑われて
人々から相手にされなくなります

2人とも同じく、正道ではなく「魔道」に落ちた、
とされて正当な門派や自分の流派から破門されます

魔道に落ちる、という概念はもともと、金庸が好んで書くプロットです
ある意味、「魔道に落ちる」という概念は、
金庸が武侠小説の中で確立したと言ってもいいくらい、魔道については
奥深い意味で金庸は書き続けてきました

さて、正義のために生きる2人は、魔道に落ちたものとされ破門されますが、
「一体正道と魔道の違いは何か?何をもってして正義であり悪があるのか?」
と悩みます。その悩みは、金庸の作品の一大テーマでもあり、また、作品に出てくる
多くの人々にも同じ疑問を投げかけるテーマなのです

まだ続きます

2人とも同じく、母親代わりの存在だけからは愛され続け守られています
姉さんがウーシェンを、金氏から守ろうとする時同様、
宗主夫人も、令狐冲が責められた時身をもって守ろうとします

そして2人とも似たようなことを言います
「この子は私が育てたのです。この子は私の息子(弟)同様です」

2人とも同じく、音楽と楽器に魅せられます
そもそもが笑傲江湖は、音楽が大きなカギを握る物語であり、
笑傲江湖における音楽というのは、さまざまな意味を持つので書ききれないので割愛します

でも陳情令も負けず劣らず音楽と楽器が大きなキーになっています
陳情令が流行った理由として、アイテムとしてまた作品として音楽が果たした役割は非常に大きい。

ウーシェンは笛を吹きますが、令狐冲は琴を弾きます
笛と琴。武術の世界でも修練として切り離せないこの2つですが、
これもまた、魔道祖師の作者のメッセージが込められているように見えるのです

笛には琴、琴には笛が必要なのです
少なくとも流派によるけど、武術の世界ではそうです

 

このように、物語の進行だけをざっと追って観ていると全然違うのですが、
何回も観て細かいところをチェック(するつもりがなくても)すると、すご~く
この2人は似ているのです

 

3.物語のストーリー展開が似ている

この物語2つは、全く違うテーマと要素からなっています
ただ、展開自体がとても似ています

前半と後半がはっきりしている、という展開が似ているのです

 

2人とも同じく、最初は天才武術家として普通に育ち、
そこに門派同士の権力争いが始まります

門派同士の争いから、自分自身もそれに巻き込まれ、
いろいろあれこれあじゃこじゃあって、
最終的には「あいつがわるいんじゃないか」的な嫌疑をかけられ、
のけ者にされていく…これが、前半の超おおざっぱな筋。

しかも、この門派同士の争いはただの争いではなく
華ドラに必ずある
「これを手に入れると絶対王者になれる神秘の秘宝」
を誰が手に入れるかで、ひたすら争奪戦を行い、これが門派同士の争いを大きく憎しみ多きものにしてしまうのです
そして、大抵の場合はその秘宝を持っているか、持つ能力や運命を抱えているのは主人公です

しかし物語の後半からは彼らの逆襲がはじまります
逆襲といっても、本当の悪者を見つけ出す謎解きになるのです

復讐=戦いではなく、謎解き。

ここがなんとも、陳情令と笑傲江湖の似たところなんです

 

この2つの物語は、確かに戦いの場面はそこここにありますが、
三国志のように朝から晩まで戦っているわけではありません

どちらかというと、嫌疑を晴らすために「知恵を働かす」。
そこが面白いのです。

2人とももともと利発で機転や頓智が利くので、直観的にあるいは頭脳明晰的に、
ちょっとしたことに節穴を見つけ出しては、
少しずつ物事の本当の有り様を探っていき、

最後には、「答え」を得ます

この2つの作品ではある意味、最後にどんでん返しがあります
ネタバレになるので書きませんが、
つまり一番正義を語っていた人が一番悪いということが判明します

だからこそ面白いし、だからこそ深い意味を突き付けてくるのです

 

この2つの物語は、

要約すれば前半は主人公の成長と生き方の確認と、門派の争いや権力闘争が浮き彫りになり、
後半は主人公が魔道に落ちたとして正道の人たちから破門されたにもかかわらず

持ち前の機転の良さと聡明さで事件を解決していき、
誰が本当に悪者かを暴いて
そして、自分の正義を明らかにします

こうした展開自体は同じなので、ウーシェンと令狐冲はどうしてもかぶってしまいます

特に皆からだんだんと村八分にされる部分は、
どちらの物事でも、観ていて観ていられないほどかわいそうであります…

でも2人とも負けはしませんでした

 

肖戦(シャオ・ジャン)、令狐冲をやって!

こんな風に観察しながら2つの作品を見ていると、
どうしてもシャオジャンに令狐冲をやってほしいと思うようになりました

彼こそ令狐冲にぴったり、ふさわしい。

シャオジャンの演じる版の令狐冲を観てみたい。

シャオジャンならどのように令狐冲を演じるの?

そんな想像と願いが膨らんでいきました

私は自分の剣術の練習とレッスンのために、今だに
笑傲江湖を読み、笑傲江湖を観ていますので
どこまでも細かいところまで注意してみていくので
これからも何か共通点を見つけるかもしれませんし、
これからもシャオジャンへの、令狐冲役への夢は消えないでしょう

そんなおり、

ゲームの宣伝でシャオジャンが
令狐冲を担当しているのを見てびっくりしました!!

そして、ああ私の思った通りだなと。
私と同じことを考えている人は少なくないはず。

つまりウーシェンと令狐冲は似ている、
そして次、笑傲江湖が世に出るなら、
令狐冲をやってほしいのは誰よりもシャオジャンなのだと。

 

ただ、肖戦・シャオジャン彼にふさわしい役でありつつも、
先にやった魏無羨と似ているわけですから

演技が似ている・つまらない・同じでしかなかった、
という評価に落ちるわけにはいきません
だから彼が令狐冲をやることになったとしても、
すごく難しい決断と役作りが待っているでしょう

金庸の作品は何度もリメイクされ、というより何度も何度も同じものを
違う制作者が作っては放送するという、異例の別格の武侠ドラマ・中国ドラマなのです
金庸の作品にでるということは、大家の作品を担当するということで、名誉であり、
一流であるということでもあり、でも失敗できない大きなものです
(まあ失敗も人生ですけど)

金庸の作品は、とにかく、他のものとは違う扱いなので、もう武侠の経典みたいなものなので
金庸の作品に出てこそやっぱり本当にトップスターに躍り出てきたといってもいいくらいなので
簡単に引き受けられるものでもありません

この大役、すでに陳情令で絶大な人気を得てしまい、
ある意味役の色がついてしまったシャオジャンがやるとしたら、
どう演じるのでしょうか?

いつもそれを想像してしまいます
ぜひ歴代の名優たちに劣らずの、最高の令狐冲をやってほしいと願ってます!!!!

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