スピリチュアルエゴとは何か

日本ではあまり取り上げられることのない
スピリチュアルエゴとは?

今日は「スピリチュアルエゴ」について書いてみたいと思います
あまり語られることではないスピリチュアルエゴ、ですが、海外では一つのトピックとして
あげられており、スピリチュアルエゴを浄化するためのヒーラー向けのヒーリングワークさえあるほどです

それではスピリチュアルエゴとはなんでしょうか?
私の知る限り、それには大きく分けて2つの意味があると思います

スピリチュアルエゴの2つのタイプ
1.自分はスピリチュアルなんだぞ、という優越感

2.なぜ他の人はスピリチュアルに生きられないの?という責めの気持ち

 

1.自分はスピリチュアルなんだぞ、という優越感

1の優越感については、「ヒーラーになるために必要なこと」の記事でも書いたのですが、
非情に多くの人が陥りやすいスピリチュアルエゴです

特に「ヒーラー養成講座でヒーラー資格をとった」という人に多いです
前にも書きましたが、ヒーラーには資格はいりませんし資格や経歴で能力を測れるものではないです
何かのスクールで学んだことは、その後の自分のヒーリングなり
スピリチュアルな生き方に役立てられればそれで十分なのであり、
誰かに見せびらかしたりそれで威張れるようなものではありません

資格をとったり何かを修了すれば、一段とすごい自分になれるわけでもなし、
特別な人になったわけでもなし、選ばれしライトワーカーになったという証でもなし・・・

でも私は少なからず今まで人から、知り合いや友人が〇〇ヒーリングや〇〇プラクティショナーになった途端、態度が変わって付き合えなくなった・・・という話を聞いてきました

私もスピリチュアルなことをやっている人、スピリチュアルカウンセラー、
スピリチュアル教師、ヒーラーという分野についている人で、
あからさまに上から目線だな、と思うことは何度もありました

 

そういう人たちは、物質的な何かを得たことによって何者かになったのだと思いこんでいます
前にも書きましたが、そういうタイプの人たちは、どこかに劣等感が強く、
劣等感をスピリチュアルな何かになったことで払拭しようとしています。
「私なんかどうせだめ」っていう自己嫌悪・自分嫌いな気持ちを、
スピリチュアルだったら消し去ってくれるのではないかと、どっかで思ってしまっています

その結果、まとわりついていた劣等感が、スピリチュアルな何かを得た・達成した・理解した・すごいヒーラーに認められ公認なんとかかんとかプラクティショナーになった・・・そういうことで優越感に変貌します。

「どう、わたし。すごいでしょ。あなたとは違うのよ。
これからは偉そうなことをあなたにも行っていくわよ言う資格があるんだから」
というような態度になっていきます。

それは人工的に手に入れた自信であり「特別感」です

 

こういうことは、あまり劣等感を感じていないある程度スピリチュアルな悟りを得たような
スゴイ人の中でも陥りやすいことです。ものすごい修行をした僧侶などでも、
それで俗世のエネルギーを削ぎ落とせる人と、返って人と違うことを達成しすぎて、
自分が他の人とは違う何者かに変身したように尊大になってしまう人と・・・

 

 

自分だけがまるで宇宙を達観したような態度になり、周りにいつもスゴイ偉い人、先生、
などと言われすぎていると、いつしか傲慢になっていきます

 

人にとって、傲慢は最も大きなエゴだと思います
簡単に陥りやすいものです

私にも傲慢さがあります
私が専門としていることについて、自分が一番よくわかっているから!
とついつい傲慢さが出てしまうことがある。例えば天使について。
自分だってよくわからないことのほうが多いくせに、
さもわかったような態度を自分がとっているのが、情けないです。

傲慢さは気づかないうちに忍び寄ってくるものです
だから本人はあまり気づいていません
「最近自分って周りに威張ったような態度をとっているな」など客観視できる人はほぼいないと思います
それに傲慢であることは特に「スピリチュアル」な人たちには受け入れがたいもの。

自分は愛に生きていると信じていたいので、傲慢なんてそんな低い波動は持っていないはずだと、
そう思いたいのです

でも傲慢さは一番人の心に入っていきやすいエゴです

誰でも、どんな分野でも、ちょっとでもちやほやされれば傲慢になります
あっという間に傲慢になります
あっという間に態度が変わり、あげくには尊大になっていきます

やっぱりこれは、人の中にある、劣等感からくると思います
だから何か「特別な人になりたい・特別だと言われたい・認められたい」と強く思う結果だと思います

それがスピリチュアルだと余計に際立ってきて、余計に強化されやすい
やっぱりスピリチュアルなことってまだ特別な分野にくくられるし、実際に霊的能力を持っていれば
世間からすれば間違いなく特別な人なわけです。たとえその人がそう思いたくなくても、
やっぱり霊的能力というのは特殊能力であって、
普通ごとではない、何かを超えた特別なものと思われる最たるものです

だから、特別な人・選ばれし人・偉大なる人・尊敬すべき人などと思われやすいです
人々はそうする必要はないのに、自分から「下から目線」で話しかけてくることもしばしばあります

そういうことに慣れすぎてしまい、持ち上げられちやほやされることで、
自分の方が上、自分は特別、自分はもっと知っている…的な気持ちが膨らんでしまうのです

スピリチュアルエゴ、傲慢さと尊大さは、気をつけなければならない心の中の敵みたいなものなんですね・・・

 

2.なぜ他の人はスピリチュアルに生きられないの?
という責めの気持ち

スピリチュアルな考え方や生き方に感動感銘して、それを実践していこうと頑張りすぎていると、
今度は周りが気になってきます

「なぜあの人はスピリチュアルになれないんだろう、大事なことなのに」
「スピリチュアルを理解していないからそういうことになるんだ」
「なぜスピリチュアルははずなのに、ああいうことをするんだろう」

などと、自分はさも何かを悟った出来た人間で、自分を棚に上げて
周りの駄目さ、遅れを取っているかのように見える
周りが気になってイライラする人がいます

周りの「普通の人」がいやにばかげてその会話もあほらしくなり、
何でもそいつらがああだからこうだから、とイライラを言い、気になるようになっていきます

逆に、自分が尊敬するヒーラー・教師・カウンセラー・コーチ・師匠などに対しては
完璧すぎるほどのスピリチュアルさを求めます

それはほとんど潔癖症とも言うべきもので、少しでもスピリチュアルな人が
情けないことをしたり、スピリチュアルらしくないことを言ったり、芸能人のゴシップに夢中になっていたり、
失敗をしたり、誰かの悪口を言っていたりすると、ビビ~ンと反応して

「なぜ?なぜあの人はああなの?スピリチュアルなんだよね?スピリチュアルな人がああいうこと
するなんておかしいよ。間違ってるよ」とすぐ小さなことでゲンメツします

スピリチュアルアイデンティティーも度が過ぎると、
以前書いたような「スピリチュアル理想主義」になってしまい、
スピリチュアルな人にはスピリチュアルな生き方をすべきだと、自分の理想を押し付けてしまいます

少しでも気に入らない姿を観ると許せなくて、その人への憧れははたと消え、
崇めていたものが崩れるので、また新たな「崇められるまるで神のような人」を探し、
結局スピリチュアルジプシーになります

そんな理想的な完璧なスピリチュアルティーチャーなんて、どこにもいないよ!
何度も言っているんだけど、、、やっぱりまだ一般の人には
スピリチュアル=尊敬と崇拝の対象であってほしい、絶対神のようであってほしい、あるいは私を救う聖なる母であってほしい、という気持ちが強いと思われます。

それはその人の、愛がほしい、という愛への渇望が影響しています

2のタイプは完璧主義者・潔癖主義者・特にとりわけ母性愛を十分受け取れなかった人に多いです

 

スピリチュアルエゴに陥ってしまった人の傾向

ヒーラーのノーク・サンチェスは「スピリチュアルエゴは、誰でもスピリチュアルな道を歩んでいる時に通りすぎなければならないプロセスであると考えられます」と言って、その傾向がある人を以下に特定しています
連絡がつかないので以下に一部を引用させていただきます

〇あまりにも過大にスピリチュアルな知識を詰め込みすぎている
〇知識に対して防御的になる
〇スピリチュアルな虚栄心とプライドを持つようになる
〇スピリチュアルな優越感(周りが劣って見える)
〇感情的に柔軟性がなくなり、また透明性もなくなる
〇自分をちゃんと敬愛できなくなる
〇自分への気づきがなくなり、自己洞察ができにくくなる
〇本当の意味での好奇心が減っていく
〇聴くこと・学ぶことより教えようとする
〇自分が正しいと思うばかり「教師」になってしまい他の人に感謝しなくなる
〇責任感がなくなり、指示されることを嫌う
〇常に「ポジティブである」ように装う(それは恐れから来る)
〇スピリチュアルな会話ばかりに夢中になる(自分たちは正しいと納得したいがため)

Signs of the Spiritual Ego

スピリチュアル理想主義に陥ってしまったケース

 

一つ例を挙げたいと思います
もう大分昔のことで、且つプライバシーは保護できるよう極力さらりと書きます

私は以前、日本であるセラピスト養成講座に通っていました
こういう場というのは、今までにいなかったスピリチュアルな友達ができて、すごく高揚感に溢れ、
何かやっと求めていた仲間や居場所ができた感じがして世界が変わったかのように思えるものです

生涯の友を見出したと感じるようになり、喜びに満たされます

話はずれますが、こういう場面でのスピリチュアルな友情というのも、そう長くは続きません

残念ながら、講座などの場では自ずとモチベーションが高まり、気分の盛り上がりや一体感もすごいです。
皆が一つのことを目指している間はいいのですが、そしてヒーラーや何者かになって成功するという夢を共通に持てている間はいいのですが、

それが終わっていくと、それぞれの人生に戻り、それぞれに自分の課題や浄化プロセスに向き合わなければならなくなります。また、ヒーラーとして成功する人もいれば全く芽が出ない人などの「格差」みたいなものが出来て、お互いに探りを入れるようになり、どこかに嫉妬心などが出てくる人もいてあまり良い関係ではなくなることが多いです

さて、この講座でもやはりすごい大盛り上がりをして、皆が永遠のソウルメイトであり
永遠の友情を誓うかのような雰囲気、皆で世界を変えていくのだというすごい(間違った)エネルギーが
沸騰していました

またある意味、特別な高揚感の中で、こういうある特定のセラピーやメソッドを習っている間は特にそれに対し優越感を感じ、その凄さに心酔し、他が見えなくなってしまうことがあります。

私も皆もそうでした
皆で終電まで語り合い、このセラピーの凄さ、これは絶対世界に広めなければ!このセラピー以上に
素晴らしいものはあるか!などと大ディスカッションで盛り上がっていました

まるで自画自賛です
世の中の人からすれば変人の集まりにしか見えなかったでしょう

でも私たちは一時的な陶酔状態になっていました
そして世間一般があほらしく低レベルに見え、それをなんとかせねばとか、
あんな人達いるから、あいつらが、社会がああだから世の中はこうなんだ、
だから誰もかれもこのセラピーを受けるべきなんだ、とか
そういう議論ばかりしていました

今思えば完全なる陶酔とマインドコントロール的なものもあったと思いますし
その場の雰囲気に飲み込まれていた感じがして、自分の体験ながらぎょっとします

 

また、こうした場ではもう一つのスピリチュアルエゴ、つまり「スピリチュアル理想主義にはまる」人もいました
先生たちを崇め奉るようになっていく人達がいました。やっぱり、そういう人達は寂しい人生を送っていました

結婚して子供もいて、お金はあって、車も家もあって、自分の仕事もあって
どこ不満なんだ、と思うような人が、一番寂しい人生を送っているように見えました

今でもそういうのって、なぜなのか分かりません

とにかく、そういう人達は家庭や自分のキャリア以外に何とか自分の居場所を作ろうと必死であり
旦那や子供以外に自分が心酔できる、最高の愛をくれる「誰か」を必死で探していました

ある日、仲間同士で話していた時、ある人があるセラピスト先生の悪口と噂話をしました
何でもその先生がある訴訟を起こしているというのです

私は何とも思いませんでした
何とも思っていない人がほとんどだったと思います

しかし、その中の1人が突然大泣きし始めました
そして私たちを責めだしました
「なんでそんなことを言うの?私が尊敬していた先生、これからお世話になろうと思ってた
先生なのに。そんな人が誰かを悪く思って訴訟を起こすなんて…スピリチュアルらしくない!
そんなこと本当のスピリチュアルな人だったらしない!スピリチュアルな人だったら愛と許しにいきるべき
でしょう。なぜ訴訟何か起こすの?なぜ普通の人間みたいなことをするの?あの先生にはゲンメツした。
あなた方にもものすごく傷つけられた。何でそんなこと私に言うの?大体人の悪口とか噂話なんてスピリチュアルな人だったらしないはず。みんなを愛し、愛について語るのがスピリチュアルな人でしょ?ひどいひどいひどい」

と言って大騒ぎしたのです

その人は夫・子供・家・車・お金・仕事・資格何でも手に入れている人でした
高額な何百万とする全講座料も夫の理解で出してもらっていました

そんな満足した人が、なぜ人を簡単に許さないと大泣きして、
私たちを責めるのでしょうか?

そもそも、なぜヒーラーやセラピストが訴訟を起こしてはいけないのでしょう?
そういうことをする人は愛がないですか?
自分が例えば暴力を受けたりして人権を侵害された場合、訴えることは自分だけでなく
社会にとっても正当なことをすることであって、社会に生きる人にとっては当然のことです

なぜ、許されることではないことをされてニコニコ許すことが愛だとわめく必要があるのでしょう?

これこそ、スピリチュアルエゴです

人に「あんたはこうあるべきだ、スピリチュアルならこうあるべきだ。でもそうではないなんて、
スピリチュアルじゃないし許されることではない」という価値観を押し付けはスピリチュアルエゴです

そして私たちまで責めるとは私たちにはもう着いていけませんでした
確かに、先生が訴訟を起こしていると言った人は噂好きの人でした
沢山のヒーリングワーク修了書を持ち、資格を持ち、特別なワークの資格さえ持っている
スピリチュアル権化みたいな人でしたが、噂話が大好きで、悪口も言いたいことも平気で言う人でした

おそらく、皆さんがスピリチュアルエゴに陥っていたらそういう人は嫌だな、と思うと思います
でも噂話ぐらい、いいじゃないですか。
人の悪口くらい、誰でもいいます。

あなたは一生に一回も誰かの悪口を言ったことはないのですか?
自分を棚に上げて、ヒーラーやセラピストに過剰な期待をするのは、もうやめてください

何度も言うようにヒーラーなんてゲスの極みです

完璧ではない、普通のストレスを抱えたただの人なのです
目を覚ましてください
あなたが信じ切っているヒーラーがいても、その人の本当の姿を知っているといえますか?
もうちょっと人のバカさ、アホさも許容できるくらい「スピリチュアル」になってほしいと思います

その人は、噂話をしたそのヒーラーと私たちを責めることで、私たちを傷つけました
その人こそ、スピリチュアルじゃなかったのです
そういう人こそ、ちょっとしたことで人を許せない、許容もできない人だったわけです
誰かにスピリチュアルな理想を押し付けるのは、ただの傲慢です

そしてその理想主義は、必ず誰かを傷つけることになります

理想主義は捨てましょう
スピリチュアルに理想的世界はありません

それは、喜怒哀楽を抱えたただの人間が通る魂の旅であり、それ以外の何物でもないと思っています
何か神々としてひかりを放つ絶対的何か、ではありません
スピリチュアルにあまりに入れ込むと、また理想を持ちすぎたり誰かを崇拝すると、
何かに理想を求めすぎて地に足がつかなくなってきます

私は最近とりわけ思うのですが、
人は生々しいほどの物質的世界の現実を生きてこそスピリチュアルがわかるのだと思います

だから働くことはすごく大事です
社会に触れて、社会の中で苦労すると、いろいろなことがありますが
それがその人の魂を磨くのだと思います

どうか自分の作った理想しかないスピリチュアル世界に埋没しないようにしてください
本当のスピリチュアルはこの世界を生き抜く中にあります

 

 

 

 

 

 

 

 

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