本当のライトワーカーはどこにいる?ライトワーカーって何だろう…

ライトワーカーの定義をしないことが
ライトワーカーを生み出す

愛をもって働くとは何か。
それは心から縒り出した糸で、布を織ること。
あなたの愛する人がそれを身にまとうかのように。
そして優しい心で種をまき、喜びに満ちて刈り入れること。
あなたの愛する人がその実りを食べるかのように。
さらに、それはあなたのつくるすべてのものに、自分自身の精神の息吹を
吹き込むこと。そして天上の聖者たちが、周りにたち、あなたを見ているのを知っていること。
ーカリル・ジブラン

 

ここまで幾つか「スピリチュアル」について辛らつとも言える記事を書いてきましたが、自分はもういわゆるスピリチュアルブーム的なもの、スピリチュアル自己陶酔的なものから決別したいという思いからそれらを正直に書きました。

よくライトワーカーとは何か?についての記事や本を読むにつけ見かけるのは、
「あなたは何もしなくてもそれだけで光放ち、世界を変えているのです。あなたは何もしなくても構いません。何もしなくても十分ライトワーカーとして働いているのです」

のような言葉。また、スピリチュアル本によくあるのが
「あなたは何もしなくてもそれだけで、ありのままで十分価値があり愛されるべき存在です」
これは本当だと思います。何かしなければ、何か達成してみせなければ価値がないというのは社会が作った観念で、生まれてきただけでその生命は皆尊いと思います。

ありのままで十分だし、ありのままで十分愛を受け取る権利も価値もある。というか権利も価値も超えた以上の存在です、生命って言うのは。生命は基本生きているだけで十分です。

生きているだけで愛を受け取る存在であるってことです。生きるだけでも、それだけ大変なことですから。動物だって、皆ただ生きているだけではないですか。(スピリチュアル的に言うと、実はそうではなく、大きな役割を持っているのですが、まあまず表面上は、人間的な生活や成功などを目指していないという点で)ただ生きている、ただありのままの動物たちだって、十分それで価値があるし、愛そのものなわけです。樹木も花も大地もそうです。

でも、それとこれとは違う。
「ライトワーカーは、何もしなくてもライトワーカーだし、何もしなくてもライトワーカーとして価値があり、あなたは世界に光放っていて、世界を変えている」

っていうスピリチュアル記事の決め言葉のようなものに、私は以前から賛成はできませんでした。
こういう言葉が、先の記事で書いたように、「言葉・知識偏重になってスピリチュアルに酔いしれ、自分こそライトワーカーに違いない」という人達の意識を助長させている気がします。そしてただスピリチュアルな知識を少しばかりかじったとか、誰かの講座に行って何かを習っただけで、何か偉いものになったかのようにふるまったり、ただ自分で祈りに生きているだけで、何者かになったかのように人にスピリチュアルを説教したりするようになったりする、そういう傾向を助長している気がしてならない。

 

スピリチュアルは知識ではなく、体験からくるもの

 

スピリチュアルは言葉ではなく、知識ではありません。
スピリチュアルなことを伝えるための手段として言葉というツールが天から与えられているだけです。
ましてや知識ではありません。

自称スピリチュアリストだという人は、人の言葉をとにかく引用します。
誰かが言ったアセンション、誰かが言ったスピリチュアルな生き方、誰かが言ったスピリチュアルな無条件の愛、誰かが言ったスピリチュアルな癒しの方法、誰かが言った今後来るべき地球の未来・・・・などなど、猛烈に勉強して知識を取り入れ、結局スピリチュアルな防御をして生きています。
そして少しでも自分の考えるスピリチュアルなものから外れた人がいると、「あなたはスピリチュアルではない」と知識で論破しようとします。

でも知識は知識です。知識だけでは、人の心に響くことはありません。聖書が今でも世界の人の心を動かし、愛を与え続けているのは、そこにイエスの行動が書かれているからです。それは生きた言葉です。でもスピリチュアルにはまっている人の言葉は、体験に基づいていないので生きた言葉、生きた何か、つまり生命エネルギーとしては人の心に届きません。

すべては体験から来るのです。

 

何もしなくても本当にライトワーカーですか?

でも昨今の特に海外の記事などを見ると、必ず書いてある「あなたは何もしなくていい、何もしなくてもライトワーカーでありライトワーカーとして輝き地球の波動を変えているのです」ということを繰り返し言われると、特に自分に行動力がない人などは、それを基盤に、自分は何もしていないのに、ただスピリチュアルにはまっているというだけで自分をライトワーカーとして認定し、勝手に波動を変えている気持ちに浸っています。

私はそういう人たちを多く見てきました。そういう人達は本当に何も行動していない人もいました。

ただ本を山ほど読み、瞑想しているだけ。そして誰かが自分の領域に踏み込めば、あなたには愛がないとか何とか、「スピリチュアルな知識を使って」相手を責め始めます。
「スピリチュアルな人はお利口さんでなければならない」という観念を持っているので、すごく丁寧な言葉で「愛」を連発し、そのやり方で相手を傷付けるのが得意です。決してラッパーのように汚いスラングで相手をディスったりはしません。でも実際には、心がキレイだと言えるでしょうか?

そもそも自分の波動が高ければ、澄んでいれば地球の波動の変化に貢献するというのは事実ではあっても、人間は実際に行動し、生身の自分、生身の人生を生きなければ絶対に波動などキレイにもならないし高尚なものにもなりません。なぜ神様が私たちをこのように悲惨で環境もよくない地球に生み落としてくれたのでしょう?

それは地球で学ぶべきことがあるからです。地球生活をして波動を磨きなさいということなのです。それを自分は宇宙のどこどこから来たから、地球とは合わないから一杯傷ついちゃうから人も嫌い、でもあたしウェイシャワーだから…、というのは、もうやめませんか?

確かに瞑想は行動の一部、祈りもそうですし、大事なものです。
スピリチュアルに生きるのに不可欠でしょう。でもそれは一部であって、実際の人生があってこそそれらも意味があるのです。人は人によって磨かれ、人生によって研磨されて、波動が高く強いものになるのです。だから働く経験はヒーラーになるために絶対必要な体験だともずっと言ってきました。
上司に踏みつけられたり、同僚が誰かを裏切ったり、その中で悩んだりする体験はつらいけどヒーラーとして誰かの苦しみを理解する時にはものすごく役に立つ経験です。ただスピリチュアルなことに浸って、ただ瞑想にふけっていたという人から、仮にですが、本当にヒーリングを受けたいと思いますか?

それより、果敢にこの人生を生きてきた、という人からヒーリングを受けたいと人は思うのではないでしょうか?

私たちは意味があってこの地球に来ています。

地球の生活や地球の現実を無視した状態で、スピリチュアルに高度にレベルの高いことができるようにはできていません。何もしなくても何かスピリチュアルにはまってしまえばライトワーカーであり、地球に貢献している高尚な人になる、という風に、天はそのようには働いていません。と、私は天使に聞きました。

「最も大切にすべきは生活であり、あなたの生き方である」-大天使ガブリエル

 

以前「私はもう俗世を生きるのをやめ、スピリチュアルな本だけを読み、常に瞑想しつづけて生きる」と言っている人を見かけましたが、その人の波動は決して美しいものではありませんでした。スピリチュアルを逃げ道にしているだけにしか見えませんでした。でもこれこそライトワーカーである、という意識にはまっているようでした。

 

スピリチュアルにはまっているなら、
ラップをするのが良い!

 

私は昔からそういうお利口さんスピリチュアルに反発心がありましたので、
実際クラブでラッパーをしていました。

ラップをすると、自分の気持ちに正直になれます。
この世界の欺瞞と虚飾を,自分自身の欺瞞を、解き放つことができます。
ラッパーである時、私は不良でも構いません。誰も私に愛で包みこんでなどと言いません。
私は私でいることができます。スピリチュアルにはまりすぎている人は、一度ラップをやってみたらいいでしょう。どれだけ自分が「スピリチュアル」というものの固定観念でがちがちになっており、狭い世界でしかものを見ていなかったかがわかるでしょう。

どれだけ自分には”いわゆるスピリチュアル”ではなく、溜まった怒りや悲しみや世界の矛盾社会の矛盾スピリチュアルの矛盾について疑問を持っていて、それから実は解放されたいと思っているかが分かるでしょう。

そしていかに自分はお利口さんではなく、「不良」であるかもわかるでしょう。みんな不良なのです。皆つまるところの「ルサンチマン」を沢山抱え持っています。ライトワーカーどころではありません。それに気付き解放するために、ラップはとてもいいチャンティングであり、トーニングセラピーでもあり、つまりセラピーなのです。

 

私にとっての真のライトワーカー

 

それでは、私は真のライトワーカーと言える人、真のアースエンジェルと言える人に出会ったことがあるでしょうか?あります。まず、私の先生たちの何人かは、本当にライトワーカーでした。でも彼女たちの人生も決して楽なものではありませんでした。今でも人生にやってくる様々な困難を、乗り越え乗り越え生きています。彼女たちは優れたヒーラーであり、ライトワーカーですが、でも人として、人生の困難から完全に解放されているわけではありません。人として、完成された人々でもありません。でも、天に与えられた能力を最大限に生かそうと、誠実に生きている人たちです。

それから、angeliclovelightで書いた、韓国人の友人です。彼女はまさにライトワーカーでした。ライトワーカーの鏡でした。金色に輝き、その光をまさに「照らしている」本物のライトワーカーでした。本当にまったく、「あなたはスピリチュアルなんだから世界を光で照らしている」なんて簡単に言っちゃいけないでしょ。実際、そのオーラから光を本当に放っているのはごく少数の人たちだけです。ほとんどの人は真っ黒で、まず長きに渡り自分の浄化に努めなければならない。もし簡単にあなたは光を放っているなんて言われたら、何かのネットビジネスか振り込め詐欺ぐらいに考えてみてはいかがでしょうか?

彼女がなぜあれほどまで波動が高く澄んでいて、本当に世界を照らしていたのかはブログに書きましたので、ぜひ読んでみてください。そこに、真のライトワーカー、真のアースエンジェル、真のウェイシャワーとは何か、自分なりの思いを書いたつもりです。

それから、私の愛する人です。以前付き合っていた人もライトワーカーでした。でも今私が愛している彼もまた、真のライトワーカーです。彼は「スピリチュアル」など読んだこともありませんし、その知識も持っていない。いわゆるスピリチュアルなことも全然してないし。

でも彼は、世界に愛をもたらしています。彼は行動します。今も世界を飛び続けています。自分のダンスで人々が励まされるならば、と言って、あの年にしては驚異的な身体能力でダンスを続けています。彼は後輩が間違っていることをしたら、正当にそれに怒りをぶつけ、ダンスの世界でもフェアで不正は許されないことを伝えています。世界トップレベルの実績を持ちながら、いっさいそれを自慢もしないし、人に言いません。自分が伝えるのは愛、自分が生きるのは愛だといいきっています。

彼は人を愛し、人を想い、人を気遣い、人と生命を愛しています。あらゆる生命を愛しています。それをダンスにしています。彼は人生を愛し、いたずらっこで笑いがたえず、夢を観ること、挑戦することをあきらめず、つらいことが合っても、立ち上がり、人に勇気と希望を与え続けています。そんな彼は、当然かもしれませんが、世界中のファン、特に彼に憧れる男の子のファンを持っています。彼は彼らを育てることに、希望をあたえることに尽力しています。

彼があまりに愛され、そしてダンサーとしても天才であり、世界屈指のダンサーであるために、彼を嫉妬し、責める人もいますが、気にしないように流していくこともすごく上手くやっている。よく出来ると思うわ。

 

私が彼が真のダンサーだと思った小さなエピソードがあります。ある時彼は大会に出ていて、いわゆる将来を嘱望された天才若手ダンサーと勝負しました。その若手ダンサーは彼のことを当然意識していました。そして、彼のダンスのスキルをそっくりまねするようなことをしたのです。それは、反則になることはないにしても、実際には反則でした。結局、人のアイディアの盗みになってしまうからです。
こういう時、大抵は先輩のダンサーはそこでは文句を言わず、後になって悪口やディスりをしてゆるってくるものです。でも、彼はそうしませんでした。彼は皆の前で、盗作はするな、と注意したのです。

それは世界中に配信されました。彼のようなトップアーティストはやったことが即ニュースになるのです。だから私も彼のことは、極力少ししか書けません。いろいろと噂する人が出てくるからです。

彼は世界に配信されることが分かっていたでしょう。本来なら、それを注意するのは審査員であって、彼ではなかったかもしれない。でも彼は、きちんとしたかったのです。後輩に対し、してはいけないことを、してはいけないと伝えることが自分の勤めだと思っていたのです。それを曖昧にするのは、彼の性分ではありません。後からけなしたり責めたりと、姑息なことをするのも彼は好きではありませんし、そういうことは一切しない人です。でも、彼は後に活躍していくであろうその若い子を、放ってはおけませんでしたから、厳しく注意しました。

これがどういう風に世間に捉えられるかは、彼には頭になかったと思います。いつもハートから行動する人なので。でも結局、世の中は彼の公正な態度に拍手を送りました。そして彼はますますファンを増やしたのです。

 

これが真のライトワーカーのすることだと思います。ライトワーカーは行動します。ライトワーカーは思うことをその場で正直に伝えます。ライトワーカーは挑戦します。ライトワーカーは世界に愛をもたらし、その方法を自分なりに持ち、それを類まれなる努力によって磨き続けます。ライトワーカーは姑息なちっさいことはしません。ライトワーカーは成長を選びます。ライトワーカーは微々たることでいちいち反応しません。ライトワーカーは夢を見続け、限界を超えていきます。ライトワーカーは愛です、傷ついても、困難があっても、愛を生きます。

私は彼のことを世間にもっと知ってもらいたいです。彼こそライトワーカーだからです。みみっちいところで自分をライトワーカーだと自己陶酔するのはやめましょう。彼のエネルギー、彼の持つオーラの強さはすごいものがあります。だから、彼は高次の存在からもかなり守られています。

 

そういう自分のことをすごいとも思わず、相変わらず15歳の少年のように生きてて、私としては困ることもありますが、私は神様に言うんです。

「神様、こんなに素晴らしい魂に出会わせてくれて、愛させてくれてありがとう。私は彼のために生きていきます。今もこれからも彼のためにありたいと思っています。」ってね。

 

 

 

 

 

 

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