ワールドカップ~古代からの約束

サッカー、観てますか?

 

ずっと昔ヒーリングの仕事をするなんて考えてもいなかった頃、あるヒーラーに言われたことがある
「あなたは人の苦しみを理解する能力と癒す能力がある。それを使わなければだめです」

 

人の苦しみを理解する能力があるかどうかはよくわからない。私はどっちかというと「自分の苦しみをわかって!」という自分勝手人間だからだ。

でも自分勝手であるのとは裏腹に、人が抱えている苦しみ、その人が気づいてもいないものさえ「観えてしまう」能力は確かにある
そしてそれは人だけでなく植物や動物であったり、大地や場所であったり国であったりもする

 

また別のヒーラーにも同じことを言われた。生まれてきた目的は、癒しを行うためだと。でもその時にもう一つ面白いことを言われた。

「今世の目的の一つに、国際交流があります。国境を越えて友情を結び、交流して絆を創っていくことも、今世でやることの一つです」

それもその時はピンとこなかったけど、今はPROJECT71として結実しているのだから、不思議なものだ

 

さて今年もワールドカップがやってきた
今から、日本対ポーランドに試合が始まっていて見ながら書いている

一応、日本戦はすべて見てきたけど、正直ほとんど興味がない

 

 昔はカゲキなサポーターだったぞ!

以前にも書いたけど、実は私、昔はかなりディープな日本代表ファンだった
サポーターグループに所属しており、ユニフォームを着て渋谷を練り歩き、中田カフェに行って観戦し、サポーターグループで
サッカー協会や当時の監督に今後の国際試合の課題を直談判しに行ったり、詳しいことは書けないが、そのカゲキな活動で有名な
サポーターグループだったので、多くの新聞やスポーツ雑誌に取り上げられた

その他にもワールドカップについて朝日新聞に投書して載せてもらったり、サッカー好きクリエイターを集めて、
その当時ではまだ珍しかった自主製作のフリーペーパーを作ってサッカー特集を載せ、当時の私の「縄張り」であった表参道~原宿中で
配布したりしていた

 

それほどに強いサッカー愛があったサッカーファンの一人だったのです…

 


その私が、今年は、というか今はもう、あまりサッカーにもワールドカップにも、オリンピックにも興味がない

そもそも、国と国同士がスポーツで戦って争って、あっちが勝った、こっちは負けたといって何になるのだろう?
指揮者の小澤征爾さんが言っていたけど、「国と国がスポーツで争っちゃだめだよ」って。本当にそうだと思う。

段々とそういう気持ちの方が強くなり、スポーツにも、特に国同士の戦いにも関心がなくなった

 

サッカーのスピリチュアリティー

 

これは私だけの心の変化ではないと思う
正直、ライトワーカーと呼ばれる人の多くは国同士をかけた試合とかスポーツ、
戦いにはもう関心がない方向になっていると思う

スピリチュアルなポータルサイトを見ると、毎回のことだがワールドカップのことなど誰ひとりも書いていない


クリスタルチルドレン、レインボーチルドレンなどはDNAからして違うから、
最初からサバイバル的戦いには興味がないだろうし、古い次元に生まれた人も、
スピリチュアルな脳と感性、それを含めたライトボディに変容していけばいくほど、
「戦闘的な」行為には気が向かなくなる
それがたとえ遊びであっても趣味であっても、公式試合であっても親善試合であってもだ

 

かつて、レムリアが最高に平和だったころ、いわゆる今あるようなスポーツというものはなかった
もちろん運動やエクササイズはあったが、戦ったり競い合ったり、
金メダルを誰が何個とったなどという争いは全くなかった
あったのは、例えばサッカーでも昔の「蹴鞠」のように輪になって楽しく皆で球をけることだけ
そしてそれを調和に活かして楽しむのだった

 

その後、レムリアが崩壊して平和と調和のエネルギーを失ったとき、地球は「戦争状態にあるのが普通」になり、

歴史はどこでもここでもずっと常に戦い争い殺し合いするという世界になってしまった

人々の脳と魂は、「戦闘的」に、サバイバルモードになってしまったのだ

 

勝つか負けるか、勝ち組負け組、負けたら終わりだ、人生勝たなきゃ、、、
などなど、戦闘意識がすべてにわたっていき渡っている
それが日常にも浸透し、人々は意識していようがいまいが、人と比べ人と争い人を見下し、
人より優越感を感じることに興味を持ち、
サバイバルすることに熱心になり、負けたと思うと嫉妬するという、ただの苦しみあいの世界になってしまった

 

正直なところ、スポーツもその範疇からは解放されておらず、今でも3次元の古いパラダイムにある
つまりいつも勝つか負けるか、何個メダルを取ったか、
どこが優勝したかばかり気にし、ただひたすら勝つ者を称賛し
負けるものを罵倒し批判するという、そういう観念から抜け出ていないし、国同士が代理戦争としてスポーツを使っている面もあるし、また戦闘的モードで行う行為でもあって、認めたくないだろうけれどもどんなに良いことを言っていてもスポーツ選手は人一倍負けず嫌いで嫉妬深い。
それが隠し切れないのがオーラと呼ぶ部分なのだ

 

以前のワールドカップで書いたけど、サッカーの選手は特に古代に戦士だった人が多く、
世界を席巻するほど影響力の多いこの特別なスポーツで、
抜きんでて強い選手になるような人は前世でも抜きんでて強い戦士だった人が多く、
まさに戦士の中の戦士だった人が多いように観える。

古代の戦いのその時のカルマの清算をピッチ上でお互いに清算しあっている(もちろんそればかりではないけど)。
それはそれで、彼らにとっては清算して浄化し、戦いを越えたところでお互いを最後には
たたえ合うことで、カルマを終わらせ、魂をクリアにすることにサッカーというツールを用いると、決めてこの地球に生まれたのだから、サッカーにはサッカーの意味があるのだ

 

特別なスポーツ、サッカー

また、以前にも書いたけど、サッカーはスポーツ種目の中でも特別な位置にある
それはサッカーには特別なスピリチュアルな目的が与えられたから
だから、他のスポーツでは考えられないほどの熱狂と関心が向けられ、このたった一つのスポーツだけで巨大なメディアが、多くの人々の心をゆりうごかすのだ


サッカー、フットボールの神聖な目的は、「世界をサッカーボール一つで一つにする」というものだった

それは今私たちがPROJECT71でやっている「アートで世界を一つにしていこう」と共通するものがある
もちろん、私たちのしていることはサッカー選手のしていることから見ればほんのささやかなことにすぎない
でも、本来は今PROJECT71で一生懸命やろうとしていることを、
サッカー選手たちこそが率先してやっていくべきであり、
世界にみせていくべきことなのだけど…

 

でも、サッカーに与えられた大きな神聖な目的は、残念ながら今地球上で、
あまり果たされているとは言えない
人々は相変わらず、ただ戦うことだけに集中し、国が負ければ愕然とするし、
勝てば大騒ぎの大祭りになり、常にサバイバルゲームとしてしか成り立っていない

これだけの関心と意識を向けられているスポーツであるにも関わらず、
本来の目的にはあまり活用されていないようだ

 

以前、日本代表の前監督だったイビチャ・オシム監督の本を読んだとき、
「サッカーはますます巨大ビジネスになっている。庶民のものではなくなっている。
この傾向はますます強まっていき、いつしかサッカーは金持ちのためだけの
ものになってしまうかもしれない」というようなことを書いていた。

この本はその他にもサッカーを取り巻く問題点、誰も指摘しない問題点や課題を正直に書いていて、
サッカーを非常に冷静に見つめていてとても面白かった。

 

サッカーをただ称賛するだけの風潮ばかりの中、
これからのサッカーの在り方を正面きって取り上げているのは
サッカーによって母国に平和をもたらそうとして、実際にもたらしてきた
イビチャ・オシム監督ならではの情熱だろうし、何より本当にサッカーを愛する人なのだと思う

”本当にサッカーを愛する人は、本当に地球を愛している人なんだ”

さっきも言ったように、サッカーには特別な役割が与えられており、それに気付いている人こそが本当の「フットボールプレイヤー」だからなのだ
あるいは、サッカー選手という名のライトワーカーと言えるだろう

 

つくづく、オシムさんがワールドカップを指揮できなかったことが残念でならない。今でもそう思う

 

さて、オシム監督が予言していたように、サッカーはまさに巨大ビジネスになっており、
今でもそれは膨らんでいるといっていいと思う
移籍金は面食らうほど高額になり、一部の選手だけが大金持ちの大スターになり、
一部のスター選手は大金でトンデモなぜいたく暮らしをしている
ワールドカップを見に来ている人達も、結局その国の普通の人というよりは一生懸命貯金してきたサラリーマンか、でなければ富裕層なのは目に見えている

まったくその国の経済事情は反映していない

その背後に、世界各国の悲惨な経済事情があり、貧困や格差があるというのに…

確かにチャリティーに興味を持ち、数々の援助を行っている高尚な選手も少なくはない
でも、それがただステータスとイメージのためなのか、それとも本気で世界を想ってのことなのかは分からない

 

今日のポーランドのレバンドスキの奥さんが、パンを買うためにわざわざヘリコプターを70万円でチャーターして買い物に行く、とテレビでやっていて
本当にあきれたし、これこそオシム監督が言っていた「サッカーが庶民のものではなくなる」ということの象徴のような気がして、とても不快に感じた

そんなバカげた話を聞いたら、まったく応援したい気持ちにはなれない
また、サッカーの平和をもたらすための目的にはほとんど誰も注目せず、
メディアも注目せず、注目するのはひたすら、
「あの選手はあんなに金持ちでこんなゴージャスに暮らしている」
「あの選手の奥さんは飛びぬけて美人」「選手の奥さんはモデル出身ばかり、美人ランキング」
「あの選手はイケメン。イケメンランキング」などなどサッカーとは全く関係ないバカげた話ばかり取り上げている

 

サッカーは、本来の神聖な目的をすっかり忘れ、それを置き去りにして、ただ独り歩きしている巨大ビジネスであり、選手はそのビジネスの駒のようになってしまっている
(自分ではスターだと思っているかもしれないが)

 

 でも原点に戻って思い返してほしい

何度も言うけど、サッカーは地球を一つにするために生まれてきた特別な使命を持ったスポーツ、
いやスピリチュアルワークなのだということを、
もう一度冷静になって思い返してほしい。
だからこそ、なぜかわからないがこれだけの世界的関心を引き付け続けているのだ
ただたんにサッカーが「面白い」からなだけではないのだ
もともと、これだけ地球が変容しまくっているのに、今なおスピリチュアルなことなど相手にもしない人ばかりだから、それを期待するのは間違いかもしれないが…

 

だからもっとサッカー関連の各団体もサッカー関係者もサッカー選手も、平和と調和について考えなければならないし、お金持ちになったらそれなりに
社会に還元していくことを考えるべきであり、
アンパンを買うためにヘリコプターに乗っている場合ではないでしょう!

 

今世界はどういう状態になっているのか、ワールドカップの勝ち負けでお祭り騒ぎをする前に考えてみてほしい

本当はサッカーどころではない人々が、驚くほど沢山いるということ
世界はまだ、というよりもっと平和から遠ざかっていること
貧富の差格差がますます大きくなり、日本でさえ奴隷のように働いて傷ついてボロボロになりながらやっと給料を得ている人がたくさんいて
決して地球がしあわせではないということを、もっと世界が考えてほしい

 

こういう私のことを、「バカ真面目だ。つまらないことを言うな。サッカーを楽しんで何がわるい」と、「こういう時ぐらい世界の嫌なことを忘れたい」と、「国を応援しないなんてお前は非国民か??」と批判されることは覚悟で書いている。そういう批判が来ることは覚悟で書いている

 

でも最初に書いたように、やっぱり私は「世界の苦しみを理解する能力があり」またそれを癒したいと思い、またその中で「国境を越えて世界を一つにしていきたい」

という今世の目的への情熱を持っている、まさにそのままなので、このようなことを、あえて書いている

 

このワールドカップが始まる前、NHKBSでイスラム社会の現状を特集して数日間連続で放送していた
イエメンを始め、各国のおかれた状況や人々の悲しみ苦しみは、想像を超えたものになっている
とてもじゃないが、サッカーどころではない世界だ

なぜこれをNHKBSがワールドカップ直前に放送したのか、
このあまりにも悲惨な世界の現状のドキュメンタリーを?
ドキュメンタリーなら、「世界のスーパースター選手特集」とか「ワールドカップの歴史名場面」などいくらでも放送ネタはあるだろうよ・・・

 

何か意図があったのか、偶然なのか、それとも「スピリチュアルな次元の意図」だったのか…
でもそれは私にとってとてもじゃないが忘れられないほど凄惨なもので、
本当に心がワールドカップに向かなくなった

 

人によっては言うかもしれない
「それでも、貧しい国でサッカーは希望であり、サッカーだけが喜びと希望の種になっている国って多いですよね?スター選手はそれなりに人々に夢を与え、サッカーは夢を与えているんじゃないですか?」と。

でもそれ自体が問題なのだ。そもそもサッカーぐらいしか夢も希望もない、という状態自体が異常じゃないだろうか。人にはそれぞれ能力があり好きなものがあり夢がある、サッカーだけではないのだ
サッカーで自国が勝つってことだけが唯一の喜び、なんてことがまず偏りすぎ、夢がなさすぎるのだ

 

戦闘モードからはなれていくのがライトボディ

そういうわけで、私は今回のワールドカップは全く興味がない
その割に毎日試合を見ているのは、もともとサッカーが好きであり、今は国については興味がないが個人芸には関心があるので
芸術的プレーをする一部の選手をただひたすらチェックしているだけなのだ

 

ワールドカップに興味がない(なくなった)、オリンピックに興味がない(なくなった)、そもそもスポーツで戦闘的モードになることに興味がなくなった、
という人は、必ず、地球上でじわじわと増えているはずだ。
これは地球がアセンションしているからであり、それに合わせて自分のアセンションして行く人達には、
もう「サバイバルゲーム」「戦闘的モード」にはなりたくてもなれないからだ
そしてその一方で、それに着いていけない人たちはますます戦闘的・暴力的になっていく傾向が出てくるだろう

 

余談になるが、面白いことに、源からのエネルギーというのは究極的には「愛」なのだけど、
私たちに届けられるときには純粋にニュートラルで、
そのエネルギーは私たちの「モード」や思い・考え・感情によって良くもわるくもなるのだということを、
最近はっきり確かめることができた

私は武術をやっているカンフーガールだ
とはいえ、今の中国武術は基本「敵を倒すため」にあるのではなく、
ひたすら自分が強くなること・美しい演舞をすること・克己するためにある
(だから好きなんだけど)

そのカンフーの練習のために、私は大木を相手に、強い内力を出してエネルギーを放出した
いつもは穏やかに練習しているが、最近よからぬ事件も多いし敵を想定して倒し込む練習もしておこうと思い、
故意に「戦闘的モード」でエネルギーを放出して攻撃的武術を、樹木相手にちょっとやってみたのだ

すると、すぐに樹木が「痛い。やめて。私は傷ついた」と言っているのが分かり、
また確かにエネルギー的損傷を与えてしまったのが見えたので
すぐに愛のエネルギーにモードを変えて、「ごめんね」といいながら癒しを送った

その時分かったのだが、神聖な源からのエネルギーでも、使う人の思いや感情、意図、そしてエネルギー体のモードによってこのエネルギーはかたちを変えてしまうのだ、ということだ

 

ほんのちょっと戦闘的モードになっただけで、
自分が出すエネルギーが相手や動植物などに内傷を与えてしまうことが分かり、
気を付けなければならないと思った
特に私は他の人とは体の構造が違い、信じられないほど強力な内力、
つまり“氣”を持っていて、スーパーサイヤ人でも念だけでぶっとばせるほどの
力を持っているので、これは気を付けなければならない、と自覚した

 

そして同時に、誰でも、思い一つ、モード一つで出すエネルギーが随分違ってくる、真逆になるのだともわかった
つまりサッカーでずっと戦闘的であると、戦闘モードの頭や体になってしまい、
見ている方も、戦いに勝つ負けるばかり気にしていると、
戦闘モードのエネルギー状態になってしまい、
それは今地球が向かっている平和・調和・平穏・ゆったりモードとは全く違う系統のものなので
そもそも地球や宇宙と不調和になるということである

 

では、今後サッカーはどうしたらいいのでしょうか?
サッカーにはそれでも魅力がある
サッカーは地球にとって大事なものだ
でも、とにかく、今の在り方とは変わっていくだろう、地球の波動変化に応じて
究極的にはまた「蹴鞠」に戻るのかもしれない

それならそれでいい
でもとにかく、サッカーは地球を愛にするためにあるのだから、愛にするために選手になる人が増え、
それこそ本当のサッカーライトワーカーとして、活躍していく人が増えていってほしいと思う
それこそが、本当の「ス―パースター選手」であること、少なくとも新しい地球ではそうなるだろう

 

最後におまけ。見ごたえのある面白かった試合があった

チュニジア対アルゼンチン

チュニジアはエボラで非常事態宣言が出るほど大変な思いをした国。
どうしても勝ってチュニジアの人々の喜びにつながればとすごく応援していた
またチュニジアの選手は走りがはやく、頑丈なディフェンスと、
今では随分確固たるパスまわしもあって魅力的なチームになっている
見ていても見ごたえのあるプレーが特に後半、続いた

 

そしてそこでわかったことは

 

岡野雅行は解説が面白い

彼は他の「解説者」と違って懸命に正確な解説をしようしようと肩に力が入っていなくて
思うことをそのまま述べている感じがかえって試合の素直な状態を伝えていて分かりやすかった

これからは岡野解説の試合は見よっと(笑) 

 

 

 

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