noteを二度止めました
〜noteを使わないほうが良いと思う私的感想
こんにちは。オンライン講師をしていることもあり、最近はオンラインとはなにか、オンラインプラットフォームについての記事を書くことも多くなっています。真正面から書いていますので、参考にしてください。
というのも検索/タグ索しても「いかにも安ライターが書いたホメホメ口コミ」の方が多く、なかなか真に迫った、実体験に踏み込んだ意見がないからです。自分がそのプラットフォームを使っている場合には立場上出来ない面もあるでしょう。会社が何らかの反撃をしてくるかもしれないし、変な会社ネット多いからね。
私はいつもツイッターが使えなくなった後に、やはり何かSNSがしたいと思い選ぶのがnoteです。前回、そのnoteも3日で止めたことを書きました。
今回は1日で止めました。
記事:

いつしか情報商材サイトと化したnote
noteは一見、クリエイターをサポートし、クリエイターとともに作っていく新しいプラットフォームであるように見えます。そしてそこには、クリエイティブなコミュニケーションとやり取りが満載で、いくつもの画期的なプロジェクトがなされ、画期的なプロジェクトが参加者からうまれてきているかのように見えます。
しかし実際登録してみると、ただの文章や作品掲載SNSだと分かります。
そのことについてはここで書いていますので参考にしてください。
そして、あの記事最近書いたように見えますが、実はもう半年以上も前、1年くらい前の記事をもとにしたものです。相変わらず現状は同じでしたので載せました。
あの記事に書いたことに足して、最近っていうかつい昨日noteに登録して思ったのは、
ますます収益化を狙うプラットフォームになったな
カネに目がくらんでいるようにしか見えない…
情報共有じゃなくて、情報商材屋だな
という印象でした。
noteのサポートについては以前より細かく丁寧になっていると思いました。
noteの使い勝手やインターフェース、
サポートは良いので、ユーザーフレンドリーではあると思います
ただ、目指す方向が理解出来ない感じです。
純粋に記事を書きたい、そして良き人々と出会いたいという気持ちなら、noteはオススメしません。もはや、そういう素朴さは昔よりないです。
素朴な文章交流サービスであってほしかった!!note
以前から、noteでは有料記事があって、「ここぞ」というところで記事が切れて「この先を読むなら100円」とかセコいことをしてましたが、検索ででてくる最近の記事はこういうのがすごく増えた印象がありました。それが嫌でした。
そもそも、ネットワーク内での記事や情報というのは無料で共有するから意味があり、それが醍醐味だったと思います。
それがいつしか、こうした収益化プラットフォームが増えてきて、たかが記事にまで課金するようになった。そう、ほんとにタダの個人的記事。
新聞をそのまま電子化したものなら、インタビューや取材とうとうにお金がかかり、仕事としての労力を払っているので仕方ないと思うけど、
「今日あったか紅茶をステイホームで楽しんで・・・なんと!!!」なんて記事にお金を払うのはヘン。でも、それは自由。課金も自由。だから、文句は言えない。
ただ私見として、なんだかな〜という感じなのです。
課金記事にすると競争化し、中身もないのにセンセーショナルな書き出しとタイトルに
そして、売りたいがためにあれもこれも、センセーショナルな書き出しとタイトルにして、「あとはお金ちょうだいね」記事が競争しあっている。どうしても読みたいと思ったものを買ってみると、ほぼ意味無し記事だったりして、もう買うことはありません・・・
それならわたしだって「日本人がKPOPアイドルになって成功する方法」とかで課金でも出版でもできますよ、半分デタラメテキトーに書いてね。
いまでもどうしても素人が書いた体験談なんかを課金で読む、ということが納得行かない。別に自由だけど、どうしても。
それはかつてネットがうまれたときにできた民主的な自由な言葉のやり取りをなくしてしまう。ネットにおける自由な文字文化をなくしてしまうと思う。そして、どうでもいいような内容でしかないのに有料にすることによって、相手を読者をがっかりさせると、はした金のために信頼を失うと思うよ。
それでお客をつるとか考えているならば、返ってお客の来ない店になると思う。
だいたい、自分の記事に100円300円つけて売るって、自分に価値がないと言っているのと同じ。どうせなら堂々と、自分の記事には1億の価値があると言ってみなさい!
わたしなら言うね。
「日本人がKPOPで人気者になるための100の方法」
「BTSとともに歩んだ血汗涙のKPOPライフ」
「未来へのスタートは始まっている〜KPOPが目指すこの先と新世代」
「あなたも踊れるKPOP〜重要ムーブだけ学んで楽しもう」
などなど。。。書ける本なら結構あるな。全部1億でだったら契約してあげる。
本当に売れている人たち、優秀な人たちって、(小説とか作品系統は別として)、基本無料でサイトに良い記事・良い情報・良い体験談や感想など、バンバン書いてますよね。
情報は決して小出しにするな、けちくさいことをするな、情報は喜んで皆に分かち合おう、そうすればより深い内容のことを知りたくて顧客はくるものだと言っていたが本当だと思う。
私自身、惜しげもなく書いてきたからそう思う。
書いている内容について、値段をつけるなんてこと考えもしないで夢中で書いてきた。
だから読まれたのではないかな?皆と共有したかった。その情熱があった。
だから無名なのに、「記事を読みました」と言って毎日のように仕事の依頼があった。(コロナ前のことです)
読んでもしょーもない記事に値段をつける、その性格を見られ敬遠されるよ、
ケチなライティングをしていると。
でもそれをnoteは助長しちゃったよね。
まあ、それでいいという人たちでやればいいさ。
その他にもnoteはサブスクだとかサークルだとか、後は何かとイベントづくし。
その全てにちょこちょこと課金が入るわけで、要するに儲けばかりじゃん。
サブスクだって見ると、しょーもないようなものばかりだし、サークルも同じく。
それを使って儲けたいというオーラがメラメラしているんだよね。
イベントもそうだし。
そもそも、noteに限らずサブスク・オンラインサロンって何かいい味出しているんだろうか?何かそんなにいい世界なんだろうか?入ったことがないのでわからないけれど、あまり意味がなさそうだし、所詮ネットだから参加者同士の関係もあるし、いつも主催者がやるきまんまんでもないだろうし。
オンラインサロンはうまくいくのか意味があるのか?
LINEのオプチャで証明されちゃってるよね。
あれも一種のオンラインサロン的なものとして、
当初は期待されていたけど、いまでは荒れ放題。
荒らしも多いし、喧嘩は絶えないし、イジメもたえないし、ディスり凄いし、
壮絶だよ。おまけにヤリモク身売りしてるし、不倫めちゃありだし、
ネットビジネスありありだし。全部止めてもう1年ほどになるけど。
最初は違ったよ。でもいまはそう。なんでも最初は純粋なの。
オンラインサロンは、確かに主催者を信奉している人とかがスキな人が集まるかもしれないけど、オプチャやサブスクやサークルとか言うのと同じで、その中で主催者がどこまで管理できて、心遣いが出来るかがまず大課題となる。これかなり、難しい。
かつてわたしもいくつかのオプチャ管理人だったから・・・
そしてかつ参加者が良い関係を維持できるか。
そして内容と講座と情報がハイグレードを維持できるか。難しいんじゃない?
noteのサブスクとサークルの
ハイクオリティ運営は難しいだろう
それでもクリエイターのコミュニケーションのためにといって、有料制で会員制でかっこよくサブスクとサークルをスタートさせたけど、そもそも記事一つを切り売りしているnoteの何がクリエイターのためのクリエイティブなプラットフォームなのだろう?
ここまで来ると、何でもかんでも値段をつけては情報を売る店にしか見えない。
そういうことをする前に、先の記事にも書いたような課題が山積している。
どこのプラットフォームもそうだが、ゆっくり育てる気はなくて、儲かることにばかり欲望が猛烈に走ってしまう傾向がある。そしていずれは退廃的になる。
新しいことをしてさらに儲けようと考えず、いまある課題をなんとかしてほしい。
そしてnoteをもっとすっきり洗煉された文化ポータルにしてほしかった。
本当のクリエイターはここにはいない。
わたしは世界のクリエイター達を正直嫌になるほど(というのも苦労が絶えなかったから)見てきたが、本物はそういうところにはいないものだ。
彼らはケチくさいことを嫌い、やるなら徹底的にガチで大型なチャレンジをする。
静かにものすごい努力と制作時間に自分をあてている。
惜しげもなく作品をインスタに流し、あとは結果を気にせず、常に精進している。
下手なイベントなんかで偉そうなことを言ったりしてるヒマなど、ホントのアーティストやクリエイターにはないのだ。わたしはそれを見た、見てきた。
ましてや、なんだろうあのつまらない記事への課金は。
もう、本当に止めてほしい。
文章や言葉というものの価値を落としている。
文章や言葉は、最も基本的な人間のコミュニケーション手段であるために、
無料で世界に捧げるべきではないのか。
じゃあ小説はただなのかと言われれば、まず、言葉自体は当たり前に無料だ。
コミュニケーションの手段である限り。
でも小説は言葉を繋いで作った作品であり商品でしょ?
コミュニケーションの手段ではなく、「自己表現の手段」になっている。
そこが違う。
その違いもわからんかい。
惜しげもなく自分の言葉を伝える。
そういう事ができる人が、結局良い作品を作り、あなた方が欲しくてたまらない「カネ」を稼いでいるだろう。
そうじゃない人もいるかもしれない、「俺の話を聞きたいなら1分いくら」とか言ってる有名人とか。でもそういう輩の書いた本など、やがて歴史に埋もれて消えていくのだ。
残るのは人類のために、言葉を残した人の言葉だけ。
noteは言葉を使って、それとは真逆のことをしている。
でも、あれこれ課金などは現代では当たり前。
だから、先にも言ったように、それでいいという人たちでやればいい。
でも、当初の目標やテーマであった、
文章という文化で世界を照らすプラットフォームではないことは事実。
せっかく、使いやすさと良いアイディアで始まったプラットフォームサービスだっただけに、とても残念である。やりようによっては、もっと洗練された文化的ポータルに鳴ったはずだと思う。